娘の高校進学について、基本的には高等支援学校に進んでほしいと考えています。
夜空の誓い(脳内ミュージック)
娘が中学生になって もうすぐ2か月になります。
入学式がなんか・・・すんごく遠い昔のことのようです。
小学校の頃のことなんて 石器時代くらい大昔のようです。
とりあえず 元気に通学しています。
一緒に登下校する友達もいないし 自転車は乗らないと言って歩いてますけど。
娘の気持ちとしては 普通学級で過ごしたい という希望があるのですが
昨年は殆ど学校に行ってなかったし 勉強にすぐにはついていけないから
まずは 支援のほうで頑張ろうと話しました。
それでも 娘の高校進学にあたり 普通校と支援校のどちらも選択できるようにしておきたい。
なので担任の先生に 普通高校の受験で内申書となる 定期テストを受けられるようにお願いしました。
そして 現時点でどれくらい勉強についていけるかわからないけれども
可能であれば 普通学級で授業を受けたいと。
先生は 定期テストについて聞き入れてくださいました。
そして「途中からよりは 最初から入ったほうがいいでしょう」と言って
5教科すべて 普通学級で授業することになりました。
そうして 娘にとっては 6年生の頃と同じような環境で 学校生活がスタートしたわけです。
しかも 在籍は支援学級なので 普通学級に行く時はつきそいの支援員なり先生なりが
教室にいてくれるわけです。
まあ もし困ったことがあっても 娘から声をかけることはないでしょうけど・・・
ゴールデンウィーク前までは 娘も 私も 先生も
それぞれにあわただしく 一日一日をこなすのにいっぱいな感じでした。
そんな中でも 授業中の娘の様子を聞いたり 宿題の方法を確認したりしていくうちに
娘が授業についていくのは大変そうだし 難しいように思いました。
この前娘の担任と話した。今はずっと普通学級で授業を受けているのだが、だんだんついていけなくなっているようで、支援員からも厳しくなってきていると言われていたとのこと。それで思い切って「放課後に補習をしようか」と声をかけたのだそう。するといつもなら反応のあまりない娘が即うなづいたと→
— ゆうつむお (@youtumugi) 2016年5月17日
しかも何度もコクコクしてたそう。それを見て担任は「もしかしたら声をかけてくれるの待ってたのかな?」と感じたと言う。それを聞いて、担任の、その感性にどこまでもついて行きたくなった。
— ゆうつむお (@youtumugi) 2016年5月17日
私も授業の話題を逐一娘から聞き出すのもなんかな…という気がして、娘も聞かれたからといってあれこれ話す人でもなく、ウンスンで終わってしまう。なのでとりあえず宿題…と関わってはいたのだが。遅かれ早かれついていけないのは予想していた。
— ゆうつむお (@youtumugi) 2016年5月17日
入学当初は、まずは支援学級で勉強の理解度や進み具合を見て、いけそうな教科は普通学級でも…と考えていたのだが、担任はそれなら最初から普通学級の授業に入ろうと。それはそれでよかったと思ってる。様子なんか見てたらいざという時には行きづらかったかもしれないし、そのまま支援でとなったかも。
— ゆうつむお (@youtumugi) 2016年5月17日
私自身は支援学級での授業でかまわないし、むしろそうしてくれたほうが勉強は身につくと思う。娘に合った勉強内容やスピードで、どれ位身につけたかを丁寧に見てもらえるから。しかし進学に普通高校の選択を残すとなると、定期考査(期末テスト) に臨む必要があり、普通学級での授業が可能であるなら
— ゆうつむお (@youtumugi) 2016年5月17日
まずは普通学級で授業を受けるという形になる。そして娘がそれを望んでいるわけで。
— ゆうつむお (@youtumugi) 2016年5月17日
だけど教科によってはすぐにでもついていけなくなるだろう。そこまでは、不登校前の、支援から普通学級に移籍するために企画した練習期間と同じなのだ。あの時はそのまま潰れてしまったのだが、今度は違う。と思っている。
— ゆうつむお (@youtumugi) 2016年5月17日
ついていけるかわからないまま必死で、不安に過ごしていたあの頃、結果的に誰も娘に手を差し伸べる事ができなかったのだが、今は担任がそれに気づいて手を差し伸べてくれる。私も娘を見守るだけでなく、小さな未来を指差して背中を押せる。だからここに滞る事はない。と思える。
— ゆうつむお (@youtumugi) 2016年5月17日
つまり、娘はあの頃のやり直しをしているわけで。あの時の状況をもう一度繰り返し、今度は娘に寄り添える支援をする事で、娘に信頼できる先生を与えたいし、適切な支援をしてもらう事で、苦手だとできないと諦めていた事が自分なりにできるようになると自信を持ってもらえたらと思っている。
— ゆうつむお (@youtumugi) 2016年5月17日
そのために、何ともまわりくどいやり方ではあるかもしれないが、娘が普通学級での授業を体験する事はとても重要だと考えている。周りが納得するためじゃない、娘が納得するために必要な手順だと信じたい。そしてそれを理解して賛成してつきあってくれている担任にただ感謝と敬意なのだ。
— ゆうつむお (@youtumugi) 2016年5月17日
続く。
聞いてくれてありがとう
前回のブログでは、結果的に身も蓋もない話になってしまった気がして…
なーんて思っていたら、にののさんのブログを読んで思い出したことがあるので、ちょっと書いてみます。
娘は12歳、高機能自閉症と呼ばれるものに位置していると思われます。
(医師からは広汎性発達障害と診断名がついています)
一見障害があるようには見えにくく、幼稚園時代は周囲にその事を伝えませんでした。
私個人としては正直なところ、娘の障害について大まかでもいいから話をして、娘のことを理解してもらいたい気持ちがありました。
しかし、療育センターの先生も幼稚園の先生も、あっさりでいいのではないか…という事でしたので、入園後の保護者会の時に、
「気持ちを伝えるのが苦手で」
「友達とうまく関われなくて」
…みたいな挨拶を、した記憶があります。
自分のお子さんについて、同じような事をおっしゃるお母さんもいましたが、
「いや、そんな軽いもんじゃなくて…」
と、少し歯がゆかった気がします。
幼稚園では娘に加配の先生をつけてもらっていましたが、周りの保護者には
「園全体のお手伝いをする先生」にしか写っていないようでした。
そして小学校入学。
娘が支援学級に在籍した事でやっと(?)、少なくとも同学年の保護者にはオープンと言いますか…
「あの子には、何かあるらしいぞ?」
というきっかけができたわけです。
幼稚園から母子共に仲良くさせてもらっていた子供たちが、協力学級に数名一緒だったので、
その子のお母さんたちに一人ずつ、
「うちの子、○○学級なの。よろしくね」
入学式にそう耳打ちしました。
(娘を理解してほしい気持ちはあっても、小学校入学を控えたデリケートな時期にお母さんたちに打ち明けるのは、精神的に余裕がなく、結局入学式当日になってしまいました)
支援学級に在籍した事、親しい間柄のお母さんたちに一言伝えられた事は、私の中ではとりあえず肩の荷が下りたような気がしました。
あえて私からあれこれ話すつもりはなかったのですが、もし娘のことを聞かれたら、できるだけ理解してもらえるように話したい。
その上で、できれば今まで通り子供たちが遊んでほしかったし、自然と離れるならそれはそれで仕方のない事だと考えていました。
私にとって一番懸念した事は、障害というものに対して遠慮したり、気を遣われる事でした。
娘の友だちが望まないのに、その子の親から、娘と一緒に遊ぶように仕向けられるのは避けたい事でした。
それならいっそ、離れてくれてよかったのです。
そのほうが、娘との関係をこじらせずに済むように思いました。
しかし、幸い(?)娘の友だちもお母さんたちも、今までと同じように接してくれました。
それは大変ありがたい事でした。
ただ…聞かれないのです、何も。
「どうして○○学級に行くことになったのか?」とか、
「どこか気になる事があったのか?」とか。
表向きの態度としては今まで通り。
でも何も聞いてはこない。
それは優しさからくるものだろうか?
それはもちろんあるのは感じています。
でも、それと同時に、「何かあるらしい」ものに対しての遠慮や気遣いが、間違いなくあったと思います。
それは当然なことかもしれません。
こちらからあれこれ話せもしないくせに、
「気にしないで聞いてほしい」なんて思うのは、
こちら側の甘えなのかもしれません。
でも一人だけ、ストレートに聞いてくれたお母さんがいます。
「どうして○○学級に行ったの?」と。
そのお母さんとは今でも時々会って、お互いの子供のことをあれこれと話し合っています。
昨年、娘は不登校になりました。
その時の私は、誰にも近づきたくなかったし、近づいてきてほしくありませんでした。
そしてさすがに誰も近づいてきませんでした。
それでも数か月して、少しずつ、娘が学校に足を運びつつある頃、
声をかけてきてくれ、話ができたのはやはり、そのお母さんでした。
聞く、というのは勇気がいることです。
その人を傷つけやしないか、悪い印象を持たれないかと、リスクを考えてしまいがちです。
それでもそうやって、私に声をかけてくれたそのお母さんの勇気に、感謝しています。
世界自閉症啓発デー
とても素敵なポスターですね。
日本の片田舎に住む私にとって「世界」と名のつくものは遠い雲のような存在です。
娘とのかかわりに頭を抱えたり、気をもむ生活の中、せいぜい住んでいる地域の教育や福祉、医療のあり方をあれこれ思い悩む程度に、日々を過ごしています。
「しかし私にとっていちばん貴重な体験となったのは、日本の親御さんたちとお会いする機会をもてたことです。文化的背景が違っていても、互いに交流したり自閉症の子どものいる家庭で生活したりする経験を分かち合うのには、何ら問題がないことがわかりました。日本とイギリスという別々の国で、まったく同じタイプの行動が異なったかたちで現れるのだと知り、とても興味ぶかく思いました。」
世界自閉症啓発デーのなないおさん絡みの記事書いてたんだけど、あらためて確認したら主旨がずれている事に気づく…あるある?
— ゆうつむぎ (@youtumugi) March 16, 2016
ありがとうの気持ちか…
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016年3月16日
正直、関係者以外の方で感謝の気持ちを持てた事ってあったかなあレベルだ…もし持てたとしたら、相手の人は娘や私がどんな人でどんな立場であれ快く接してくれたであろうし、こちらもそういうの関係なく感謝できたように思う。身も蓋もないか…。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016年3月16日
それか「それって?」みたいな事はあるな……偽善てやつ?
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016年3月16日
何だかそんなむなしさやしんどさのほうが多くて、それならわかる人にわかってもらえばいいんじゃ…ってなる。そしてそのような人は自ずと引き寄せられるのだ(多分) 。響かない人には何を言っても響かない…水さしちゃうなあ…。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016年3月16日
そういう割合や確率って一定な気がしたりする。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016年3月16日
『シンクロしました、私』
春よ来い
月曜日。
リハビリからのリカバリー
先日、娘と病院に行ってきました。
病院に受診。3学期に入ってからの様子を話す。登校の状況は昨年とあまり変わらないが、担任と時間割を確認しながら、登校日を検討。娘と話し合って選択や決定していると。以前よりも担任と娘の距離が近づいているようにも思う。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
医師は、中学校入学が切り替えにはちょうど良い、それを逃すと3年間同じ事になってしまう。本来は相談も選択もなく、学校は行くものだから、そういう態度で接するべきだと。母親が踏み切れないでいる、やれやれという感じなのだろうか。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
登校刺激は母親次第? 母親が「行くべき場所」として促す、社会に出た時のために。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
学校の先生は他人だから、最後まで責任は取らない(取れない)、やはり母親が…みたいな。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
「お母さんが元気なうちはいいですが、いなくなってからも娘さんは生きていかなければならない」
わかってるんだけど、わかっているつもりなだけなんだろうか。はたから見ると過保護で甘やかしている母親に見えるって事か…。そうなのか? 待っていちゃダメなのかな…。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
医師は私がぶれないように言い聞かせてくれているのか、それともやはり「やれやれ」な母親なんだろうか…。母親が頑張んなさい、と言いすてられてる感がするんですけど…病院てこんなもんですかね…。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
学校はともかく、放課後デイやSSWと話し合って、こんな感じでいいのかなとそれなりに納得していた気持ちがあったんだけど、医師にそう言われると気持ちが揺れるなあ。どうすりゃいいんだ?
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
帰ってきてから娘が突然「私のこと嫌いじゃない?」と聞いてきた。「好きだよ、そんなふうに思ってたの? どうしてそう思ったのかな?」ぐぐぐ。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
どうしてどこからそんな発想が出てきたのかわからないけど、嫌われてるとずっと思っていたなんて言わないでくれよ…。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
「好きだから大丈夫だよ、自信持っていいよ。学校に行かなくても、なにか悪い事しても嫌いにならないよ。でも元気なあなたが好きだし、元気に学校にいってほしいと思うよ」
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
せっかくなので学校の事も話してみる。医師の受け売り的な説明をしてみる…それなりにウンウンと聞いてはいるが…。私の熱意?プッシュ次第で登校する気になるものなのか? だけど「好きだよ」効果は効き目があるかもしれない。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
後になって、どうして大好きと言ってやらなかったのかと反省する。みんな好きな人に好きだと素直に言える? ていうかむしろ好きかなんて意識すらせず生活しているものじゃないかな…。言われてみればそうだけど、言うまでもないというか、大切な存在でしょ?
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
いや、言葉で伝えることは大事だよね、特にこどもには。だけど私には「あなたが大切で大好き」なんて怖くて言えないな、本音は。でも理性で言うけど。そんなものじゃない?
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
寝る前に「あなたのこと大好きだけど、いつもそう考えてるわけじゃないんだ」「うんそうだよね」…どういうこった? 「でも言わなくても大好きだし大切に思ってるよ。でもたまには口で言うから、あなたも私に言って」「え"〜」「だよね〜照れくさいよね〜」
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
私「じゃあさ、お母さんが(家族の中で)誰のこと好きに見える? お父さん?」
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 4
娘「…え? ああ…まあ…?」
私「お父さんも好きだしお兄ちゃん達も好きだしあなたの事も好きだよ」
好き好き攻撃の告白タイムだ…苦手だからやめてくれ…
先週、医師から言われたことがずっと引っかかってる。確かに登校を促す一番の立場は親なんだろう。だから娘が登校するのは親次第…に聞こえてしまい、何だかわだかまってしまう。何だろ、このストンと落ちなさ…。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 7
確かに娘には積極的に「学校に行こう!」とは言えてない、今までは。言っていいのかわからない。焦ってしまうことになるんじゃないかと。少しずつとか段階をおってとかの加減がわからなかった。それを親が決めていいのかも。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 7
誰かが「こうこうこういうふうに進めよう」と言ってくれればやりやすいんだけど。周りはわりと「お母さんの気持ちで」みたいなところがあって、本当は答えが出てるのに、私の気持ちを尊重するというのか…まどろっこしい…はっきり言ってくれたほうがいんだけどな…。その辺、医師はズバっとなんだな。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 7
まわりの優しさのようなものにも心許ないし、医師のズバっと感にも気持ちが追いつかない。医師だって他人事でしょ?と、つい思ってしまう。医師は割り切らないと仕事できないから。まあ、何の仕事もそうだろうし、そのほうがお互いにいいんだけどさ。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 7
3学期に入ってから2週間位は娘も私も今までのペースで過ごしてて、中学に行くまでの間に、何か糸口が見つかるといいなとは漠然と思っていた。医師の言葉がきっかけにはなれたと思う。どこまでうまくいくかはわからないけど。この生活に飽きてきた感もあったから…私は。娘はどうだろう。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 7
とにかく明日から毎日朝起きるまで起こして、起きたら支度して登校。というペースを作ってみようとは思うが…。めちゃくちゃ体力と気力がいりそう…冬、早く終わって…。
— ゆうつむぎ (@youtumugi) 2016, 2月 7