スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

思えば遠くへ来たもんだ

「診断名を伝えましょう」

心理士さんにそう言われてさすがに「え……え??」って一瞬なりました。
 
それは、それこそは娘が診断を受けてからずーーーーーっと私の頭の中にあって、意識してきたことなのです。
 
今現在、娘にはまだ診断名を伝えてはいないし、それについての詳しい説明もしていません。
 
特性についてはその都度、娘が理解しやすいようにシンプルにわかりやすく伝えるようにしてきました。
しかし、それは娘にとっては性格の延長であったり、努力すればできるようになることと受け取っているかもしれない。
 
いつか話す時がくる。
それがいつなのか… 小学校の高学年あたりだろうか…と、本やまわりのお母さん達から情報を取り、以前から漠然と考えていました。
 
しかしなかなかそれはやってこなかった。
 
就学前の娘には、そんな話が成り立つような理解力や会話力はありませんでした。
小学校に入学してからも、私には娘にどれだけの理解力があるのかよくわからなかったし、
関係機関のどなたも「告知」というワードを口にはしませんでしたし、
そもそもオットの理解が得られていなかったのです。
告知どころか、障害についての理解が。
 

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1番はじめに「これは…そろそろ伝えるべきなのでは?」と感じたのは娘が小4の時でした。

少しずつ、友達とうまくいかない自分に悩むようになっていたのです。
 
娘はそうは言いません。
 
「友達と遊びたいのに遊ぶ友達がいない」
「友達が私に話しかけてくれない」
「でも自分から(遊ぼうと誘ったり話しかけること) はしない」
 
できないのではなく、しないそうです。
「そういうタイプだから」と。
 
そのうちに、
「まわりから変な目で見られてる、私のことをバカにしている」
…などと気にするようになり、
それが支援学級にいるせいなのではないか、
どうして支援学級にいるのか、
病院に、検査に行かなければならないのか…
 
娘のなかでクエスチョンマークが増えていったようです。
 
その度に話を聞いて、ああかもね、こうかもね、それはこうだと思うよ、
あなたはこういうところがあって支援学級に病院に検査に行っているんだよ・・・
そう説明してきたつもりですが、どうしても言葉足らずになってしまうのです。
 
「診断名」や「障害」という言葉を避けて話そうとするからです。
 
「娘にきちんと話したほうがいいのではないか」
主治医や支援者にも相談してみたのですが、
「まだ必要ないのではないか」
「診断名をはっきり言わなくてもいいのではないか」
…という返事なのです。
 
多少モヤモヤしながらも、そんなものなのかなと様子を見てしまう。
その時の私には、自分が直接、娘に話すことなど自信がありませんでした。
本当は、できれば主治医から説明してもらいたかったのです。
 
あれこれ習い事をしてみたり、今とは違うタイプの放課後等デイサービスを利用してみたり、普通学級に行くための練習をしてみたりするうち、
普通学級の友達にも、支援学級やデイの友達にも違和感を感じてしまう。
友達にも勉強にも、ついていけなくなってしまう。
 
少しずつ自分に自信が持てなくなっていったのだと思います。
そして不登校
 
色々な支援機関に相談をし、思いきって病院も変えました。
そして新しい主治医に、いずれ診断説明をしてほしいとお願いしました。
 
その頃はまだ登校できず娘の気持ちも沈んでいて、すぐには動けないと思いましたが、
半年ほど経過し、少しだけ学校に足が向くようになった頃、
再度娘への診断説明が話題になった時に主治医から、
 
「まだ必要ない。説明したとして、言葉では理解しても本当の意味で理解するのはずっと先になるだろう。急ぐ必要はない」と言われました。
 確かにまだ登校も軌道に乗れてない状態だったので、そう言われるのも仕方ないのかなと思いました。
 
そのままその話題はいったん胸にしまい込み、また頃合いをみて話すことになるのかなと。
 
しかしデイの心理士さんは「もう病院はほっといてこちらでやりましょう」と。
 
実は娘の勉強方法に、私も担任の先生も悩んでいて、心理士さんに相談したのです。
 
小学校の後半から、宿題は悩みの種ではあったのですが、それを誰にどう話せばよいか考えもしなかったし、みんなと同じ宿題をすることに疑問を感じませんでした。
ましてや普通学級に移る練習をしている期間は、みんなと同じことを支援なく行うことが前提でしたから。
(今にして思えば無茶ぶりが・・・)
 
娘がどんな方法で勉強すればやりやすいのか、身につけやすいのか。
小学校ではそこそこついては行けたかもしれませんが、中学になればそうも言ってられません。
教育相談も申し込み中です。
 
心理士さんはどのような方法で勉強すればいいのか、検査してみないかと。
WISCだけでなく、もっとくわしい検査をして娘の特性をくわしく調べようと。
そして娘に合った勉強方法を考えようと。
 
ウルトラマーーーン!!!!!!!!
(わかる人にはわかる雄叫び)
 
それも含めて、やはり診断の説明は必要不可欠なのだと。
 
私も、これまでの告知に対する自分の考え方や思いを心理士さんに伝えました。
そして中学のこの3年間が、娘にとってとても重要な期間であり、
この3年間のどこかで告知をすることになるだろうと。
むしろそれは今でもいいんだと、話をしながら確信していきました。
 

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心理士さんとデイの活動について話し合ったことを、その日の夜にパソコンでまとめました。

そして3枚コピーしました。

1枚は担任の先生に、1枚はオットに、1枚は心理士さんに。

(情報の共有ってやつ・・・)

オットはまだ心配な様子でしたが、反対はしませんでした。

 
その一部を抜粋。

『これから、本人に診断名の説明をする方向で考えていきます。

  ①検査をすることや、支援学級での勉強をしていく理由を伝える必要がある。

  ②本人が診断名を知ることで、これからの進路や就労について一緒に考えていける。

  ③「自分は何者か」を知る権利があり、理解する力がある。』

 

 

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「自分は何者なのか」
まさにその一言が、娘に伝えたい全てなのです。
その問いを心に抱えたまま、背負い込んだまま、暗い深い森の中で、娘を迷わせるわけにはいかないのです。
 

 

 

 

 

支援の向こう側

娘の高校進学について、基本的には高等支援学校に進んでほしいと考えています。

オットは普通科にせよ職業科にせよ、普通高校に行ってほしいようです。
 
それは(定型児の) みんなと一緒に(定型児と同じ環境で) 学校生活を(定型児と) 楽しく過ごしてほしいと考えているからです。
ちょっと意地悪な書き方になっているかもしれません。
 
はっきりと話し合ったわけではないのですが、オットは発達障害というものについての知識がまだ曖昧だと思います。
そして「障害」というものが、まわりから理不尽な扱いを受け、社会の弱者であると考えているように思います。
 
それ故、娘をその括りに入れてしまうのにためらいがあります。
だからきっと、普通高校に入って普通に学校生活を楽しんでほしいのだと感じました。
 
(普通ってなんだ…)
 
そして娘は、今はまだ普通高校と高等支援学校の違いがよくわからない。
そもそもどんな高校があるのかさえ、よくわからない状態ではあるけれども、
今一緒に過ごしているみんなと、小学校から中学校に上がってきたことと同じように、高校という場所に流れていくのかな・・・と漠然と考えているかもしれません。
 
しかし、仮に娘が普通高校を望んだとして、どんなメリットがあるというのか。
 
ただ普通高校に通った、
(定型の) みんなと同じ高校に通った、
そのことが娘の将来にどれだけの利益になるのか。
 
利益…苦手な言葉ですが、せめていい思い出として心の支えになってくれたなら、無駄とは言えないかもしれませんが・・・
 
娘の思い出として心の支えになるのだろうか?
 
それは第三者が決めつけられるものでは全くない。
だけど勉強が嫌いで、友達づきあいも苦手で、かといって1人が好きというわけでもなく、かと言って自分から入れない。
そんな娘が支援を受けられず、まるで置物のように教室の席に座っているだけの3年間なら、
 
例え「エゴでしょ?」と言われても私なら要らない。
(むしろ普通高校に通わせるほうがエゴなのでは?)
 
しかしその判断を自分ですることは、娘にはまだできないのです。
 
正直、障害についての印象を聞かれれば私だって、差別や偏見やいじめからは避けて通れないように感じますし、そういう事実があること、そのような場面に出くわすことも多くはないですが、あります。
 
そして障害者を弱き者、守らなければならない者、継続した支援が必要な者と捉えています。
娘がその立場であるということに、悲観的にしか考えられない時期も当然ありました。
 
今だってないわけじゃありません。
 
だけど「このほうが幸せだろう」という、親の思い込みとも言えるイメージで、未来を想像できないまま安易に決めたくないのです。
 
どう前に進むべきか大人が知識を得て、ある程度導いていく必要があるのではないか?
こっちだよ、この道のほうがあなたにとって歩きやすいよ、急な坂道がないかわりに緩やかなカーブがあるよ、あなたの好きな色の石があるよ、みたいな。
 
中学校に入って、普通学級の授業についていくのが難しくなり、
誰かに相談するでも、声をかけるでもない娘は、静かに座ってノートを取ってはいるかもしれません。
それでも先生の目にはあきらかなわけで。
 
娘のプライドを傷つけないように、少しずつ支援学級で個別に勉強する時間をそれとなく増やしてもらう。
そこで「できた」という自信がちょっとずつ、積み重なっていくといいなと思いつつ。
 
そのように授業を受けることで、学力は低空飛行ながらも維持はできるかもしれない。
 
今は少子化で、この辺の地域では定員に空きのある高校も少なくありません。
名前と受験番号を書いて、0点を取らなければとりあえず入れる学校もあると噂で聞きます。
そんな高校に行くよりは、学力重視にせず高等支援学校への進学を目指して授業に臨んでほしいです。
 
その先の向こうには何があるのか?
 
そう。
高等支援学校に進み、娘が好きなこと、取り組んでいけそうなこと、
そんなものが働くことへの関心や意欲に繋がるといい・・・と思いつつ。
 
そうスムーズにいくだろうか?
 
やはり壁が見えるのです。
「なぜ自分がその高校に行かなければならないのか?」
「多くの友達は通学しているのに、なぜ自分は寄宿生活をする必要があるのか?」(通学可能な高等支援学校が地域にないため)
 
そう聞かれたら何と答えればいいのだろう。
 
きっとその過程で、娘の障害について・・・特性について触れなければならない時が来ると。
 
そこに行き着いてしまうのです。
続く。
 

夜空の誓い(脳内ミュージック)

娘が中学生になって もうすぐ2か月になります。

入学式がなんか・・・すんごく遠い昔のことのようです。

小学校の頃のことなんて 石器時代くらい大昔のようです。

とりあえず 元気に通学しています。

一緒に登下校する友達もいないし 自転車は乗らないと言って歩いてますけど。

娘の気持ちとしては 普通学級で過ごしたい という希望があるのですが

昨年は殆ど学校に行ってなかったし 勉強にすぐにはついていけないから

まずは 支援のほうで頑張ろうと話しました。

それでも 娘の高校進学にあたり 普通校と支援校のどちらも選択できるようにしておきたい。 

なので担任の先生に 普通高校の受験で内申書となる 定期テストを受けられるようにお願いしました。

そして 現時点でどれくらい勉強についていけるかわからないけれども

可能であれば 普通学級で授業を受けたいと。

先生は 定期テストについて聞き入れてくださいました。

そして「途中からよりは 最初から入ったほうがいいでしょう」と言って

5教科すべて 普通学級で授業することになりました。

そうして 娘にとっては 6年生の頃と同じような環境で 学校生活がスタートしたわけです。

しかも 在籍は支援学級なので 普通学級に行く時はつきそいの支援員なり先生なりが

教室にいてくれるわけです。

まあ もし困ったことがあっても 娘から声をかけることはないでしょうけど・・・

ゴールデンウィーク前までは 娘も 私も 先生も 

それぞれにあわただしく 一日一日をこなすのにいっぱいな感じでした。

そんな中でも 授業中の娘の様子を聞いたり 宿題の方法を確認したりしていくうちに

娘が授業についていくのは大変そうだし 難しいように思いました。

 

続く。

聞いてくれてありがとう

前回のブログでは、結果的に身も蓋もない話になってしまった気がして…

  

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 なーんて思っていたら、にののさんのブログを読んで思い出したことがあるので、ちょっと書いてみます。

 

娘は12歳、高機能自閉症と呼ばれるものに位置していると思われます。

(医師からは広汎性発達障害と診断名がついています)

一見障害があるようには見えにくく、幼稚園時代は周囲にその事を伝えませんでした。

私個人としては正直なところ、娘の障害について大まかでもいいから話をして、娘のことを理解してもらいたい気持ちがありました。

しかし、療育センターの先生も幼稚園の先生も、あっさりでいいのではないか…という事でしたので、入園後の保護者会の時に、

「気持ちを伝えるのが苦手で」

「友達とうまく関われなくて」

…みたいな挨拶を、した記憶があります。

自分のお子さんについて、同じような事をおっしゃるお母さんもいましたが、

「いや、そんな軽いもんじゃなくて…」

と、少し歯がゆかった気がします。

幼稚園では娘に加配の先生をつけてもらっていましたが、周りの保護者には

「園全体のお手伝いをする先生」にしか写っていないようでした。

 

そして小学校入学。

娘が支援学級に在籍した事でやっと(?)、少なくとも同学年の保護者にはオープンと言いますか…

「あの子には、何かあるらしいぞ?」

というきっかけができたわけです。

幼稚園から母子共に仲良くさせてもらっていた子供たちが、協力学級に数名一緒だったので、

その子のお母さんたちに一人ずつ、

「うちの子、○○学級なの。よろしくね」

入学式にそう耳打ちしました。

(娘を理解してほしい気持ちはあっても、小学校入学を控えたデリケートな時期にお母さんたちに打ち明けるのは、精神的に余裕がなく、結局入学式当日になってしまいました)

 

支援学級に在籍した事、親しい間柄のお母さんたちに一言伝えられた事は、私の中ではとりあえず肩の荷が下りたような気がしました。

あえて私からあれこれ話すつもりはなかったのですが、もし娘のことを聞かれたら、できるだけ理解してもらえるように話したい。

その上で、できれば今まで通り子供たちが遊んでほしかったし、自然と離れるならそれはそれで仕方のない事だと考えていました。

 

私にとって一番懸念した事は、障害というものに対して遠慮したり、気を遣われる事でした。

娘の友だちが望まないのに、その子の親から、娘と一緒に遊ぶように仕向けられるのは避けたい事でした。

それならいっそ、離れてくれてよかったのです。

そのほうが、娘との関係をこじらせずに済むように思いました。

 

しかし、幸い(?)娘の友だちもお母さんたちも、今までと同じように接してくれました。

それは大変ありがたい事でした。

 

ただ…聞かれないのです、何も。

「どうして○○学級に行くことになったのか?」とか、

「どこか気になる事があったのか?」とか。

表向きの態度としては今まで通り。

でも何も聞いてはこない。

それは優しさからくるものだろうか?

それはもちろんあるのは感じています。

でも、それと同時に、「何かあるらしい」ものに対しての遠慮や気遣いが、間違いなくあったと思います。

 

それは当然なことかもしれません。

こちらからあれこれ話せもしないくせに、

「気にしないで聞いてほしい」なんて思うのは、

こちら側の甘えなのかもしれません。

 

でも一人だけ、ストレートに聞いてくれたお母さんがいます。

「どうして○○学級に行ったの?」と。

そのお母さんとは今でも時々会って、お互いの子供のことをあれこれと話し合っています。

 

昨年、娘は不登校になりました。

その時の私は、誰にも近づきたくなかったし、近づいてきてほしくありませんでした。

そしてさすがに誰も近づいてきませんでした。

それでも数か月して、少しずつ、娘が学校に足を運びつつある頃、

声をかけてきてくれ、話ができたのはやはり、そのお母さんでした。

 

聞く、というのは勇気がいることです。

その人を傷つけやしないか、悪い印象を持たれないかと、リスクを考えてしまいがちです。

それでもそうやって、私に声をかけてくれたそのお母さんの勇気に、感謝しています。

 

 

 

 

 

 

 

世界自閉症啓発デー

 

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とても素敵なポスターですね。

 

日本の片田舎に住む私にとって「世界」と名のつくものは遠い雲のような存在です。

娘とのかかわりに頭を抱えたり、気をもむ生活の中、せいぜい住んでいる地域の教育や福祉、医療のあり方をあれこれ思い悩む程度に、日々を過ごしています。

娘の特性を知った当初は、ワラをもつかむ思いで、手当たりしだい本を読みあさりましたが、かれこれ10年近い月日が流れ…こうしてスマホをいじっては、気になる記事を気の向くままに読む程度になりました。
 
それでも、娘と同じような特性のお子さんが日本のどこかにいるはず…と、気になる情報や、やはり知識もほしいところ。
そんな思いにちょうどマッチしたのがツイッターです。
 
ちょうどスマホを購入する機会が得られたのもよかったです。
(ずっとガラケーを利用するつもりでしたが、時代の流れもあり家族で購入)
それが、インターネットとSNSにかかわる入り口にもなりました。
 
自閉症スペクトラムは、大まかに分ける事はできても、1人ひとり特性が違いますし、もともとのその子の性格もあり、取りまく環境も様々です。
 
娘が通っていた小学校の支援学級や、地域の子どもたちの中には、娘と似ていると思うお子さんはなかなか見当たりません。
かといって、あえて名乗り出る…という事も現実的でないような気がして難しいです。
 
そもそもよく似た特性を探せること自体、可能性の低いことなのかもしれません。
 
現実には困難な時、インターネットは心強い味方になります。
(使い方をあやまると、おそろしい敵にもなるそうですが…)
 
私はツイッターやブログという世界にたどりついた事をありがたく思います。
そうでなければ、いつまでも狭い現実の世界の中で、不安を抱えながら右往左往していたかもしれません。
 
ツイッターで流れてくる記事やツイートの情報源である、特性のあるお子さんを育てていらっしゃる親御さん。
またご自身が特性のある方、そして親子を支えてくださっている様々な支援関係の皆様、いつもありがとうございます。
 (普段、あらためて言葉にする事がほとんどないので、せっかくだからドサクサに紛れて…)
 
身近な生活圏内程度の人とのつながりが、インターネットを利用する事で、日本のあちこちにお住まいの皆さんと広くつながれるようになりました。
 
あれほど遠く感じられた「世界」は、もうすでに身近な存在なのかもしれません。
 
9年前、娘が自閉症スペクトラムと診断されてから、初めて買った自閉症関連の本は、ローナ・ウイング氏の『自閉症スペクトル』(1998年初版) という本でした。
ウイング氏がたった1度だけ、来日された時のエピソードが書かれています。
そのお話が印象的で、自閉症と「世界」のつながりを初めて意識した内容でした。
今でも時々、ふと思い出しています。
 
「しかし私にとっていちばん貴重な体験となったのは、日本の親御さんたちとお会いする機会をもてたことです。
文化的背景が違っていても、互いに交流したり自閉症の子どものいる家庭で生活したりする経験を分かち合うのには、何ら問題がないことがわかりました。
日本とイギリスという別々の国で、まったく同じタイプの行動が異なったかたちで現れるのだと知り、とても興味ぶかく思いました。」
 
世界の自閉症の子どもたちに、いつか会えるといいな。
 

『シンクロしました、私』

娘は毎週『ヒガンバナ』を欠かさず観ています。
 
お笑いや仰天ニュースもの (ドキュメンタリーバラエティ番組と言うらしい ) も好きなんですが、ドラマは『ヒガンバナ』と『怪盗 山猫』がお気に入りのようで、今期ハマっているドラマですね。
あと嵐番組も何気に観てます。(誰かお気に入りがいるんでしょうか…)
 
ヒガンバナ』…一言で言うと刑事もの、と言えばいいんでしょうか…。
主人公の渚ちゃんが美しくミステリアスで、その不思議な能力は、ちょっと現実的ではない気がしますが…
娘はそういう少女なり、女性の主人公に惹かれるようです。
過去には『悪夢ちゃん』や『妖怪人間ベム』←(これはベラが、というよりストーリー全体の雰囲気がよかったのでしょうか)
『掟上今日子の備忘録』も観てましたね。
 
どこかミステリアスで影のあるヒロイン…。
そのヒロインに、自分を何となく重ねているのでしょうか?
自分でも無意識のうちに惹かれてしまうのでしょうか?
生きづらさを抱えながらも懸命に生きる、その強さを持つ彼女たちへの憧れなのでしょうか?
 
先週、娘は不登校からの脱却を目指して…(大げさですね)
祝日をはさみながらも、1週間何とかこなせました。
毎日遅刻してましたし、まだ母の付き添いがないと心細いようですが。
 
金曜日、学校の玄関から出てきた娘を出迎えます。
私「1週間頑張ったね〜」
娘「うん」
私「疲れたでしょ」
娘「腰痛い…」(掃除当番で掃き掃除したようです)
2人で車に乗って家に帰ります。
 
車を運転しながら娘に言いました。
「お母さんさ、2学期から、むー(娘の仮名)と一緒に教室にいたじゃない? それで感じた事なんだけど…。
むーは学校を休み出す前は、自分が教室にいるのが嫌だったかもしれないけど。
それはむーがみんなと同じようにできないとか、みんなの中に入れないとか、思ってたかもしれないけどね。
勉強だって、テスト100点じゃなくても、悪い点数じゃなかったけど、むーは満足できてなかったかもしれないけどね。
でも今は、みんなと違うところもあるかもしれないけど、何となくこうやって教室にいていいんだって思えるようになったんじゃない?」
「うん…」
「お母さんは、むーと一緒に教室にいて思ったのはね、むーは基本的にはみんなと同じなんだけど、教室の多くの友達とは見てる場所が違うっていうのかな…見え方が違うような気がしたんだ。
だから、勉強も思うようにできなかったり、人とうまく話せない事もあるのかもしれない。
でもそれって特別な感じがするよね、ヒガンバナのあの人みたいにさ。
それがみんなより劣ってるって事じゃないんじゃないかな。見え方が違うだけでさ」
「ん…」
ちょっとややこしかったかも。
でも何となく、伝わったかな?
 
実はこの日、たまたま出会った保健室の先生と少しお話ししました。
保健室へは不登校中、時々娘と遊びに行ったり、先生も娘の(主に私の)話し相手になってくれていました。
 
約1年前、娘が初めて学校を休んで3日目、試しにやや強引に登校させてみました。
やはり精神的に無理だったようで、登校はしたものの、教室に入って間もなく様子が変だったので、保健室に連れて行ってもらいました。
その時に保健室の先生が娘と色々話した…と、当時は簡単に聞いてはいました。
 
先生はその時の話をあらためて教えてくれました。
娘は泣きながら、先生の問いかけに答えてくれたそうです。
娘は、教室で思うようにいかない、できない自分を責めていたようです。
みんなに何とかついて行こうと、頑張り過ぎていたんだねと。
勉強も友達も。
そして話をした最後に娘が、
『こんな私の話を聞いてくれてありがとうございました』
そう言ったそうです。
 
きっと私には言えない話なんだろうな…
自分から普通学級に行きたいと言って始めた練習期間。
きっと1番愚痴をこぼせなかったのは母である私にかもしれない。
(まあ、さんざん学校行きたくないとはこぼしてましたけどね…て言うか、もっと早くこのエピソードを聞きたかったなあ…だからって、何かがすごく変わっていたわけじゃないかもしれませんけどね…)
 
1年。
1年てキリのいいものなんだなあ…
春夏秋冬、1周しなければ、ひと段落つかない感じ。
これでやっと、おぼろげに何かを把握したような気分にさせる周期。
 
環。
 
1か月
1週間
1日。
 
1時間
1分間。
 
1秒。
 
そんな話を聞いて、尚更、娘に伝えたくなったんです。
もう少し前なら、なんて言ってあげればいいのか、うまくまとまらならない言葉だったかもしれません。(今もうまくまとまりませんが)
 
一生懸命、頑張ってきたじゃない。
(いや、それはよくわかってはいたんだけど、うまく逃げ場を作ってあげられなかった大人の責任だよね)
また元気になれば、そこまで頑張りすぎなくてもいいけど、また頑張れるようになるよ。
色んなことをやってみよう、始めてみようという気持ちになれるよ。
 
だから、見え方が違う自分に誇りを持ってほしいですね…。
自信はまだまだついてこないかもしれないけれど。
いっそあなたが渚ちゃんにシンクロしてみない?
 
 
 
 

春よ来い

月曜日。

オットは月曜日が肝心と言います。
私もそう思います。
娘もそう思っているかもしれません。
 
月曜日の朝、娘を起こします。
さすがに、以前通りの起床時間には起きれませんでしたが、それでも最近にはない早さです。
そして淡々と身支度をして朝食を食べる…登校するために。
11か月振りにこの光景を目にしたのですが、不思議と感動・感激はしないものなんですね。
静かな安心感がある感じです。
時間割りを少し手伝いながら、玄関を出て車で学校へ。
教室に入り、私は娘の後ろで殆ど何も動かず佇んでいます。
給食の時間になったので、それを理由に私だけ1人で帰宅しました。
娘も家で食べると言ってきましたが、
「せっかくだから給食食べなよ、帰りに迎えに来るから」
と言って帰ってきました。
 
帰ってくると、その日もオットは昼食に戻っていて。
娘について2人でゆっくり話しました。
私は病院で医師から言われたこと、その日に娘に「嫌いじゃない?」と聞かれたこと、生活を見直そうと話していた矢先に、オットが学校に毎日行くように言ってくれてとても助かったと話しました。
オットは以前にも同じことを娘に話していたそうです。
1か月くらい前。
…そうだったんだ、言ってくれよそういう事は…
 
「毎日学校に行くつもりで」
私にとって、オットのその言葉は絶妙なナイスタイミングで、オットがそう言ってくれなければ…
つまり私1人では、その方向に大きく舵をきる事はできなかったように思います。
だってすごく大胆な舵きりじゃないですか…?
いや、むしろ機は熟していたのかもしれません。
 
それは娘の再登校が揺るがないというわけではなく、もし娘がまた登校拒否しても動じない私自身の揺るがなさなのです。
以前のように、
「もし行きたくないと言われたら、なんて返せばいいんだろう?」
と言う不安や迷いは不思議となくなっていました。
そこには、私が受けたカウンセリングの効果もあるでしょうし、いつもいつも私に同じ言葉を繰り返した、医師の言葉があるのです。
あのブレなさ、揺るぎなさ。
今なら、娘に対する接し方がイメージできます。
 
そしてもちろん親からのアプローチだけではなく、
学校が、クラスの子ども達が、暖かく迎え続けてくれていた事は言うまでもありません。
また時期的にも、私から担任の先生にバトンを渡しやすかったのです。
そして当の娘が、学校を、クラスメイトを微かながらにもずっと気にかけてくれていたから、今こうして戻ることができたのではないでしょうか。
学校に行く事が、自分にとって何の興味も関心も無くなってしまっていたら、
友達というものに全然関心がなかったら…
また学校に行こうという気持ちにはなれなかったかもしれません。
むしろ最初から、不登校にもならなかったとも言えるでしょうか。
 
3日、とりあえず3日続けて登校しました。
遅刻して、行きたくないなあとこぼしながらも、最後まで教室で過ごし、掃除をして帰ってきます。(掃除をしてくることは私の中でとても重要なことでした)
とても頑張っています。
えらいです。
でもこの頑張りは、あの頃のように、虚しさとは感じないと思います。
例え授業についていけなくても、みんなとワイワイ過ごせなくても。
娘は娘なりに、私と一緒に通ううちに、この教室での、自分の位置を確認できたと思うのです。
そして今は、私の代わりに担任の先生がいる。
何10人もの子ども相手で大変だろうけど、そんな中でもあなたを気にかけてくれている、あなたの先生が。
今なら、あの頃よりもっと声をかけやすくなったでしょう?
 
さて。
娘が学校にいる間、私が1人家で留守番をする…
ずいぶん久しぶりです。
1人ってこんなに自由だったんだ…
何?この解放感。
不登校の期間中、娘と一緒に時間を過ごす間、私はすごく神経を使い、自分を抑圧していたのかもなあ…
もちろんそれは娘のせいではないのです。
あくまでも私の中の問題だと思います。
そして1年振りくらいに外で食べるランチは、とても贅沢なご馳走に思えました。
発達ママ友さん達に、娘のこれまでの事を話せるようになりました。
やっと、ゆっくりと。
 
因みに、医師から言われたことを、担任の先生に愚痴ってしまったのですが。
『お母さん、ものすごく疲れていますよ、昨年ものすごく頑張ったんです。お母さんに休息が必要だったんですよね』
おお…そうかも…わかってくれますか、先生…
『ただ、母親次第っていうのはあると思います』
ぐぬぬぬ…
『人を動かすのは気合なんですよ…やっぱり。
ルールや約束を作ったら、守らせるのは大人の力がないと、上手くいかないですよね。
それをうやむやにしてしまうのは、甘やかしではなく大人の甘えだと思います』
超、激しく同意します…やっぱ先生好きっす…