スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

思いの外、夕飯と曜日の呟きが多いことに気づく

 

 

 

 

日々のタイムラインと下ネタと告白り(こっくり)さん

そろそろブログをまとめようと思いつつ、なかなか時間が取れないため、少し(かなり?)遡ってツイートを載せてみます。

真面目なツイからアホなツイまで、コーヒーでも飲みながら気分転換に・・・(なるのか!?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

追憶

思えば遠くへ来たもんだ

「診断名を伝えましょう」

心理士さんにそう言われてさすがに「え……え??」って一瞬なりました。
 
それは、それこそは娘が診断を受けてからずーーーーーっと私の頭の中にあって、意識してきたことなのです。
 
今現在、娘にはまだ診断名を伝えてはいないし、それについての詳しい説明もしていません。
 
特性についてはその都度、娘が理解しやすいようにシンプルにわかりやすく伝えるようにしてきました。
しかし、それは娘にとっては性格の延長であったり、努力すればできるようになることと受け取っているかもしれない。
 
いつか話す時がくる。
それがいつなのか… 小学校の高学年あたりだろうか…と、本やまわりのお母さん達から情報を取り、以前から漠然と考えていました。
 
しかしなかなかそれはやってこなかった。
 
就学前の娘には、そんな話が成り立つような理解力や会話力はありませんでした。
小学校に入学してからも、私には娘にどれだけの理解力があるのかよくわからなかったし、
関係機関のどなたも「告知」というワードを口にはしませんでしたし、
そもそもオットの理解が得られていなかったのです。
告知どころか、障害についての理解が。
 

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1番はじめに「これは…そろそろ伝えるべきなのでは?」と感じたのは娘が小4の時でした。

少しずつ、友達とうまくいかない自分に悩むようになっていたのです。
 
娘はそうは言いません。
 
「友達と遊びたいのに遊ぶ友達がいない」
「友達が私に話しかけてくれない」
「でも自分から(遊ぼうと誘ったり話しかけること) はしない」
 
できないのではなく、しないそうです。
「そういうタイプだから」と。
 
そのうちに、
「まわりから変な目で見られてる、私のことをバカにしている」
…などと気にするようになり、
それが支援学級にいるせいなのではないか、
どうして支援学級にいるのか、
病院に、検査に行かなければならないのか…
 
娘のなかでクエスチョンマークが増えていったようです。
 
その度に話を聞いて、ああかもね、こうかもね、それはこうだと思うよ、
あなたはこういうところがあって支援学級に病院に検査に行っているんだよ・・・
そう説明してきたつもりですが、どうしても言葉足らずになってしまうのです。
 
「診断名」や「障害」という言葉を避けて話そうとするからです。
 
「娘にきちんと話したほうがいいのではないか」
主治医や支援者にも相談してみたのですが、
「まだ必要ないのではないか」
「診断名をはっきり言わなくてもいいのではないか」
…という返事なのです。
 
多少モヤモヤしながらも、そんなものなのかなと様子を見てしまう。
その時の私には、自分が直接、娘に話すことなど自信がありませんでした。
本当は、できれば主治医から説明してもらいたかったのです。
 
あれこれ習い事をしてみたり、今とは違うタイプの放課後等デイサービスを利用してみたり、普通学級に行くための練習をしてみたりするうち、
普通学級の友達にも、支援学級やデイの友達にも違和感を感じてしまう。
友達にも勉強にも、ついていけなくなってしまう。
 
少しずつ自分に自信が持てなくなっていったのだと思います。
そして不登校
 
色々な支援機関に相談をし、思いきって病院も変えました。
そして新しい主治医に、いずれ診断説明をしてほしいとお願いしました。
 
その頃はまだ登校できず娘の気持ちも沈んでいて、すぐには動けないと思いましたが、
半年ほど経過し、少しだけ学校に足が向くようになった頃、
再度娘への診断説明が話題になった時に主治医から、
 
「まだ必要ない。説明したとして、言葉では理解しても本当の意味で理解するのはずっと先になるだろう。急ぐ必要はない」と言われました。
 確かにまだ登校も軌道に乗れてない状態だったので、そう言われるのも仕方ないのかなと思いました。
 
そのままその話題はいったん胸にしまい込み、また頃合いをみて話すことになるのかなと。
 
しかしデイの心理士さんは「もう病院はほっといてこちらでやりましょう」と。
 
実は娘の勉強方法に、私も担任の先生も悩んでいて、心理士さんに相談したのです。
 
小学校の後半から、宿題は悩みの種ではあったのですが、それを誰にどう話せばよいか考えもしなかったし、みんなと同じ宿題をすることに疑問を感じませんでした。
ましてや普通学級に移る練習をしている期間は、みんなと同じことを支援なく行うことが前提でしたから。
(今にして思えば無茶ぶりが・・・)
 
娘がどんな方法で勉強すればやりやすいのか、身につけやすいのか。
小学校ではそこそこついては行けたかもしれませんが、中学になればそうも言ってられません。
教育相談も申し込み中です。
 
心理士さんはどのような方法で勉強すればいいのか、検査してみないかと。
WISCだけでなく、もっとくわしい検査をして娘の特性をくわしく調べようと。
そして娘に合った勉強方法を考えようと。
 
ウルトラマーーーン!!!!!!!!
(わかる人にはわかる雄叫び)
 
それも含めて、やはり診断の説明は必要不可欠なのだと。
 
私も、これまでの告知に対する自分の考え方や思いを心理士さんに伝えました。
そして中学のこの3年間が、娘にとってとても重要な期間であり、
この3年間のどこかで告知をすることになるだろうと。
むしろそれは今でもいいんだと、話をしながら確信していきました。
 

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心理士さんとデイの活動について話し合ったことを、その日の夜にパソコンでまとめました。

そして3枚コピーしました。

1枚は担任の先生に、1枚はオットに、1枚は心理士さんに。

(情報の共有ってやつ・・・)

オットはまだ心配な様子でしたが、反対はしませんでした。

 
その一部を抜粋。

『これから、本人に診断名の説明をする方向で考えていきます。

  ①検査をすることや、支援学級での勉強をしていく理由を伝える必要がある。

  ②本人が診断名を知ることで、これからの進路や就労について一緒に考えていける。

  ③「自分は何者か」を知る権利があり、理解する力がある。』

 

 

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「自分は何者なのか」
まさにその一言が、娘に伝えたい全てなのです。
その問いを心に抱えたまま、背負い込んだまま、暗い深い森の中で、娘を迷わせるわけにはいかないのです。
 

 

 

 

 

支援の向こう側

娘の高校進学について、基本的には高等支援学校に進んでほしいと考えています。

オットは普通科にせよ職業科にせよ、普通高校に行ってほしいようです。
 
それは(定型児の) みんなと一緒に(定型児と同じ環境で) 学校生活を(定型児と) 楽しく過ごしてほしいと考えているからです。
ちょっと意地悪な書き方になっているかもしれません。
 
はっきりと話し合ったわけではないのですが、オットは発達障害というものについての知識がまだ曖昧だと思います。
そして「障害」というものが、まわりから理不尽な扱いを受け、社会の弱者であると考えているように思います。
 
それ故、娘をその括りに入れてしまうのにためらいがあります。
だからきっと、普通高校に入って普通に学校生活を楽しんでほしいのだと感じました。
 
(普通ってなんだ…)
 
そして娘は、今はまだ普通高校と高等支援学校の違いがよくわからない。
そもそもどんな高校があるのかさえ、よくわからない状態ではあるけれども、
今一緒に過ごしているみんなと、小学校から中学校に上がってきたことと同じように、高校という場所に流れていくのかな・・・と漠然と考えているかもしれません。
 
しかし、仮に娘が普通高校を望んだとして、どんなメリットがあるというのか。
 
ただ普通高校に通った、
(定型の) みんなと同じ高校に通った、
そのことが娘の将来にどれだけの利益になるのか。
 
利益…苦手な言葉ですが、せめていい思い出として心の支えになってくれたなら、無駄とは言えないかもしれませんが・・・
 
娘の思い出として心の支えになるのだろうか?
 
それは第三者が決めつけられるものでは全くない。
だけど勉強が嫌いで、友達づきあいも苦手で、かといって1人が好きというわけでもなく、かと言って自分から入れない。
そんな娘が支援を受けられず、まるで置物のように教室の席に座っているだけの3年間なら、
 
例え「エゴでしょ?」と言われても私なら要らない。
(むしろ普通高校に通わせるほうがエゴなのでは?)
 
しかしその判断を自分ですることは、娘にはまだできないのです。
 
正直、障害についての印象を聞かれれば私だって、差別や偏見やいじめからは避けて通れないように感じますし、そういう事実があること、そのような場面に出くわすことも多くはないですが、あります。
 
そして障害者を弱き者、守らなければならない者、継続した支援が必要な者と捉えています。
娘がその立場であるということに、悲観的にしか考えられない時期も当然ありました。
 
今だってないわけじゃありません。
 
だけど「このほうが幸せだろう」という、親の思い込みとも言えるイメージで、未来を想像できないまま安易に決めたくないのです。
 
どう前に進むべきか大人が知識を得て、ある程度導いていく必要があるのではないか?
こっちだよ、この道のほうがあなたにとって歩きやすいよ、急な坂道がないかわりに緩やかなカーブがあるよ、あなたの好きな色の石があるよ、みたいな。
 
中学校に入って、普通学級の授業についていくのが難しくなり、
誰かに相談するでも、声をかけるでもない娘は、静かに座ってノートを取ってはいるかもしれません。
それでも先生の目にはあきらかなわけで。
 
娘のプライドを傷つけないように、少しずつ支援学級で個別に勉強する時間をそれとなく増やしてもらう。
そこで「できた」という自信がちょっとずつ、積み重なっていくといいなと思いつつ。
 
そのように授業を受けることで、学力は低空飛行ながらも維持はできるかもしれない。
 
今は少子化で、この辺の地域では定員に空きのある高校も少なくありません。
名前と受験番号を書いて、0点を取らなければとりあえず入れる学校もあると噂で聞きます。
そんな高校に行くよりは、学力重視にせず高等支援学校への進学を目指して授業に臨んでほしいです。
 
その先の向こうには何があるのか?
 
そう。
高等支援学校に進み、娘が好きなこと、取り組んでいけそうなこと、
そんなものが働くことへの関心や意欲に繋がるといい・・・と思いつつ。
 
そうスムーズにいくだろうか?
 
やはり壁が見えるのです。
「なぜ自分がその高校に行かなければならないのか?」
「多くの友達は通学しているのに、なぜ自分は寄宿生活をする必要があるのか?」(通学可能な高等支援学校が地域にないため)
 
そう聞かれたら何と答えればいいのだろう。
 
きっとその過程で、娘の障害について・・・特性について触れなければならない時が来ると。
 
そこに行き着いてしまうのです。
続く。
 

夜空の誓い(脳内ミュージック)

娘が中学生になって もうすぐ2か月になります。

入学式がなんか・・・すんごく遠い昔のことのようです。

小学校の頃のことなんて 石器時代くらい大昔のようです。

とりあえず 元気に通学しています。

一緒に登下校する友達もいないし 自転車は乗らないと言って歩いてますけど。

娘の気持ちとしては 普通学級で過ごしたい という希望があるのですが

昨年は殆ど学校に行ってなかったし 勉強にすぐにはついていけないから

まずは 支援のほうで頑張ろうと話しました。

それでも 娘の高校進学にあたり 普通校と支援校のどちらも選択できるようにしておきたい。 

なので担任の先生に 普通高校の受験で内申書となる 定期テストを受けられるようにお願いしました。

そして 現時点でどれくらい勉強についていけるかわからないけれども

可能であれば 普通学級で授業を受けたいと。

先生は 定期テストについて聞き入れてくださいました。

そして「途中からよりは 最初から入ったほうがいいでしょう」と言って

5教科すべて 普通学級で授業することになりました。

そうして 娘にとっては 6年生の頃と同じような環境で 学校生活がスタートしたわけです。

しかも 在籍は支援学級なので 普通学級に行く時はつきそいの支援員なり先生なりが

教室にいてくれるわけです。

まあ もし困ったことがあっても 娘から声をかけることはないでしょうけど・・・

ゴールデンウィーク前までは 娘も 私も 先生も 

それぞれにあわただしく 一日一日をこなすのにいっぱいな感じでした。

そんな中でも 授業中の娘の様子を聞いたり 宿題の方法を確認したりしていくうちに

娘が授業についていくのは大変そうだし 難しいように思いました。

 

続く。

聞いてくれてありがとう

前回のブログでは、結果的に身も蓋もない話になってしまった気がして…

  

youtumugi.hatenablog.com

 なーんて思っていたら、にののさんのブログを読んで思い出したことがあるので、ちょっと書いてみます。

 

娘は12歳、高機能自閉症と呼ばれるものに位置していると思われます。

(医師からは広汎性発達障害と診断名がついています)

一見障害があるようには見えにくく、幼稚園時代は周囲にその事を伝えませんでした。

私個人としては正直なところ、娘の障害について大まかでもいいから話をして、娘のことを理解してもらいたい気持ちがありました。

しかし、療育センターの先生も幼稚園の先生も、あっさりでいいのではないか…という事でしたので、入園後の保護者会の時に、

「気持ちを伝えるのが苦手で」

「友達とうまく関われなくて」

…みたいな挨拶を、した記憶があります。

自分のお子さんについて、同じような事をおっしゃるお母さんもいましたが、

「いや、そんな軽いもんじゃなくて…」

と、少し歯がゆかった気がします。

幼稚園では娘に加配の先生をつけてもらっていましたが、周りの保護者には

「園全体のお手伝いをする先生」にしか写っていないようでした。

 

そして小学校入学。

娘が支援学級に在籍した事でやっと(?)、少なくとも同学年の保護者にはオープンと言いますか…

「あの子には、何かあるらしいぞ?」

というきっかけができたわけです。

幼稚園から母子共に仲良くさせてもらっていた子供たちが、協力学級に数名一緒だったので、

その子のお母さんたちに一人ずつ、

「うちの子、○○学級なの。よろしくね」

入学式にそう耳打ちしました。

(娘を理解してほしい気持ちはあっても、小学校入学を控えたデリケートな時期にお母さんたちに打ち明けるのは、精神的に余裕がなく、結局入学式当日になってしまいました)

 

支援学級に在籍した事、親しい間柄のお母さんたちに一言伝えられた事は、私の中ではとりあえず肩の荷が下りたような気がしました。

あえて私からあれこれ話すつもりはなかったのですが、もし娘のことを聞かれたら、できるだけ理解してもらえるように話したい。

その上で、できれば今まで通り子供たちが遊んでほしかったし、自然と離れるならそれはそれで仕方のない事だと考えていました。

 

私にとって一番懸念した事は、障害というものに対して遠慮したり、気を遣われる事でした。

娘の友だちが望まないのに、その子の親から、娘と一緒に遊ぶように仕向けられるのは避けたい事でした。

それならいっそ、離れてくれてよかったのです。

そのほうが、娘との関係をこじらせずに済むように思いました。

 

しかし、幸い(?)娘の友だちもお母さんたちも、今までと同じように接してくれました。

それは大変ありがたい事でした。

 

ただ…聞かれないのです、何も。

「どうして○○学級に行くことになったのか?」とか、

「どこか気になる事があったのか?」とか。

表向きの態度としては今まで通り。

でも何も聞いてはこない。

それは優しさからくるものだろうか?

それはもちろんあるのは感じています。

でも、それと同時に、「何かあるらしい」ものに対しての遠慮や気遣いが、間違いなくあったと思います。

 

それは当然なことかもしれません。

こちらからあれこれ話せもしないくせに、

「気にしないで聞いてほしい」なんて思うのは、

こちら側の甘えなのかもしれません。

 

でも一人だけ、ストレートに聞いてくれたお母さんがいます。

「どうして○○学級に行ったの?」と。

そのお母さんとは今でも時々会って、お互いの子供のことをあれこれと話し合っています。

 

昨年、娘は不登校になりました。

その時の私は、誰にも近づきたくなかったし、近づいてきてほしくありませんでした。

そしてさすがに誰も近づいてきませんでした。

それでも数か月して、少しずつ、娘が学校に足を運びつつある頃、

声をかけてきてくれ、話ができたのはやはり、そのお母さんでした。

 

聞く、というのは勇気がいることです。

その人を傷つけやしないか、悪い印象を持たれないかと、リスクを考えてしまいがちです。

それでもそうやって、私に声をかけてくれたそのお母さんの勇気に、感謝しています。