スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

ぼやきのつむさん (たんにん編)

若干ハラハラだった修学旅行も、出発の朝に見送った時点で

「大丈夫」

と思ってはいたのですが。

やはり学校に到着して出迎えた時の、何かをやり遂げた?ような安堵の顔を見て、

「行けてよかった」

と母は思いました。

本人からは何も言わないし、私も根掘り葉掘り聞かなかったんですけどね。

飛行機が面白かったとか、旅館のご飯が美味しかったとか、そんなたわいのない話。

 

しかし、担任の先生とは何となく距離を置いてしまうのでした。

会話や文章の端々に、少し引っかかりを感じてしまったり、

言葉の裏を読んでしまい、一人で勝手に疲れています。

やはり信頼を失うという事は、こうも心が離れてしまうものなのですね。

 

不器用さとか、実力の無さとかを責めたいのではなくて、

むしろそれは二の次でいいんです。

何より欲しかったのは、誠意とか寄り添ってくれる気持ちだったように思います。

そもそもコームインにそれを望むのが間違いなのかな?

 

そんなに大きな事を期待してたわけじゃないけど…

人と人が繋がるための、基本的なものは持ち合わせていると信じなければ、

関係なんて作れませんよね。

 

プライドの下げにくさや、どこからくるのかわからない自負のかたまり…のようなもの。

相手のプライドを保つために、こちらが我慢する必要はないのかなって。

 

「こりゃあかん」と思ったら、

迷わず切るべきなのかもしれない。

まあ、切れる相手ならいいんですけどね。

憂鬱な修学旅行(やっぱり)

中学校生活で最大とも言えるメインイベント、修学旅行。

そんな季節となりました。

修学旅行については、2年生の3学期から少しずつ話し合い、準備が行われます。

それ以前に、担任の先生から、グループ行動や宿泊部屋などは、支援学級のみの構成でやると聞いていたし、

(そのほうが娘は安心して行動できる)

小6の修学旅行はギリギリまで説得したものの、結局参加できなくて、後になって「なんで行かなかったんだろう」と後悔していたので、

今回こそ、楽しみに、そして楽しく過ごせることを、信じかけていたのですが…

 

数日前、

「修学旅行、行くのヤダな」

とポツリ。

ふぇ!?!? と、耳を疑いましたよ。

(疑いたい願望)

 

で、

時間がゆっくり取れる時に詳しく聞いてみたんですよ。

 

すると、いくつか心配な要素が出てきたので、アドバイスしたり一緒に考えたりして、大まかには解決したんです。

 

それで、話し合った事を、一応担任の先生にも連絡しておくねと話したんですが、

自分で言えるなら直接言ってみたら? と勧めたんですよね。

(できれば自分の口から伝えてほしい)

 

しかし、どうやら担任のことは苦手らしい…

という事が、今になって判明したわけです。

 

いや、何となく、そんな気もしてたんですよ。

 

昨年度の後半から、連絡帳には時々、

娘の苦手さに関する報告が、チクチクと書かれたりしました。

それでふと、娘は担任のこと、どう思ってるのかな? なんて、新学期になってから気になってたんです。

 

昨年度の後半くらいから、

コミュニケーションがうまく取れない、

質問に対して返事が遅くうまく返答できない

指示したことが実行できない、

わからないことを質問できない、

などの指摘をされるようになりまして。

 

そう連絡帳に書かれましても「その通りですが何か?」と言いたくなってしまいました。

(言ってない)

だから、これまでもずーーっと、それを踏まえて関わり続けているのですが?

 

先生はそれらの事を、

娘がどうしてできないのか考えた事はありますか?

どうすればできるようになるか考えてくれてますか?

そこまで求めるのは、学校では無理ですか?

 

なんか、修学旅行、嫌なら行かなくてもいいよ、と言いたくなりました。

でも、その事ですべてを諦めるのは何だかもったいないくらい、

修学旅行はいい経験ができると思っているので。

 

もしまた渋ったら、

「大丈夫だよ、行けばなんとかなるから、行っておいでよ」

と言うつもりです。

 

しかし学校に関しては、もし担任と顔を合わせるのが苦痛なら、

「行きたくないなら、学校休んでもいいよ」

と、難なく言えてしまいそうな母がいまして。

 

あんなに不登校を恐れていて、実際、不登校になって心が折れていた頃に比べると、

随分、大人になったなあと自分を褒めてます。

(褒めちゃいかんところ?)

 

 

噂の三者面談 (知ってるけど)

三者面談しました。

疲れました。

予定時間よりオーバーしてしまい、次の人に申し訳なかったです。

疲れました。

二年生の時は何だかんだ言って、

参観日に行ったり学級懇談はあったものの、

個人面談的なものは殆どなく、

連絡帳のメモのやりとりで済ませていたので、

久しぶりに担任と生で向かい合った印象でした。

三者なので娘も同席ですが。

 

質問に答えられない、質問ができない、コミュニケーションが取れない、

今のままだと高校でも苦労する、たとえ支援学校であっても。

ではそれを支援するために、どのように関わってきてくれたのですか?

できない、無理、難しい、とばかり並べ立てて、

あなたはどのような策を練ってくれたのですか?

それを望むのは欲張りですか?

家庭で努力すべき事なのですか?

そもそも、娘が一生懸命努力して、無理をしてまで頑張らなければならない事なのですか?

すでにもう、あなたへの期待も信頼も、

少しずつ削ぎ落とされていて、

作り笑いもぎこちなくなってしまいます。

あー疲れた。

 

小さい声ではあったけれど、

「頑張ります」としっかりとした意志の答えを、

「何を頑張るのか知らないけど」と

笑ってあしらうのはやめてほしい。

(意外と支援級に多いんだなこういう先生は)

でも

「誰も怒らせたくないし傷つけなくない」と、

これまたしっかりとした意志で娘は言うんだな。

あー、私もそう思ってるよ。

それこそ難しい事ではあるのだけどね。

 

春になると

春はリニューアルな気分になるので、ふと書いてみようかと誘われてしまいます。

 

4月から中学3年生になった娘は、いよいよ進路について的を絞っていかなければならない時期となりました。

 

幼少期に発達の遅れが見られ、

療育センターに通い、

検査と診断を受け、

幼稚園に加配を配置してもらい、

小学校では支援学級に所属し、

ある時、普通学級に行きたいと頑張り、

挫折して不登校となり、

数ヶ月後、少しずつ登校するようになり、

無事卒業して、

中学校では支援学級からスタートしつつも普通学級への思いは抱きつつ、

やはりそのハードルは高く硬く、

そんな中、本人への診断説明を経て、

卒業後のその先は特別支援へ継続となるか、と収まりつつ、

学校見学や教育相談をするものの、

。。。。。

やはりやはり、本人の中ではしっくりしないものがあったんですね。

 

今現在の気持ちとしては、

普通高校を卒業して専門学校に行きたい」

それが娘の思いのようです。

 

けれども、普通高校でやっていけると自信があるわけではなく、まだ迷っている段階だし、

支援学級に籍を置いて定期テストもろくに受けていないため、評定の関係で、受験できる学校は限られてくると思います。

 

まずはどんな学校があるのか、調べてみて、あちこち一緒に見学しようと話しています。

 

全日制、通信制、公立、私立…

同時に特別支援の学校へもまだ足を運ぶつもりです。

いくつかの選択肢があり、情報を得て、最終的に、

娘が「ここに行きたい」と言える進路を目指して…

 

秋にはそうなっていてほしいと、今から秋が待ち遠しい母なのでした。

 

 

 

 

 

 

 

メモ

‪探し物でメモアプリを見ていたら、いつ書いたか覚えてないメモが出てきた。多分、今年?1年以内だと思うんだけど、娘からの質問を受けて答えた内容だと思うんだけど。下書きにして放置してたみたい。‬

 

メモ
「私のこといつからアスペルガーだとわかったの?」
アスペルガーと言われたわけじゃなく、発達障害と言われたんだけど、幼稚園に行く前に検査した時だね。
あなたに似ていることが書いてある本を探しているうちに、いつのまにかアスペルガーと書いてある本にたどり着いただけなんだけどね。(アスパーガールとかね)
アスペルガーの子は、IQが高くて言葉を話すのが得意らしいから、あなたは厳密にはアスペルガーではないと思うんだよね。
ただ、色んな発達障害があって、一人ひとりの特性も違うから、一概にこれだ、とも言えないんだけどね。
あなたの中にいる内側のあなたと外側から見えるあなたとギャップがある気がする。
外側のあなたはほとんどしゃべらないし思ったことを話てくれないけど、内側のあなたは色んなことを考えてて色んなことを感じてるでしょ?
そのギャップをできれば少しでも少なくしたい。
そのギャップにあなたは困ってるよね?うん
困ってないなら、変わりたくないというなら無理に変わる必要はないかもしれないけど、もし変わりたい、もっと自分を出したいと思ってるなら、努力してやってみよう。
学校でも放課後デイでも作業したり友達と何となく過ごしているようだけど、根っこのところではあなたが内側の部分を外に出せるようになってほしくて関わってもらっていると思うよ。
お母さんにもあなたが何を思ってたり考えているのかほとんどわからなかったんだよ。家族でもわからないんだから、よその人はもっとあなたのことをわからないと思うんだよね。
内側のあなたを出せるようになったほうが、色んなことがスムーズになると思うよ。

 

だそうです。

 

また、春がやって来た

何だか久しぶりのブログです。

 

春のワタワタがひと段落し、何となく昨年のことをざっくりと整理しておこうと、

ふと浮かんだのですが。

 

昨年の夏に、本人に発達障害の説明をしたあと、

徐々に普通学級(協力学級)から支援学級で過す時間が増えました。

同時に娘が少しずつ、安心して学校生活が過ごせているのが、

娘の様子や担任の先生からの連絡で伝わってきました。

 

小学校入学当初から支援学級に在籍していた娘は、4年生の時にその事を嫌がるようになったのですが、

今は支援学級の空間が、安心できる場所、(少しは)自分らしく過ごせる場所になれたようです。

 

担任の先生の支援や配慮はもちろん大きいのですが、少人数ながらも支援のクラスメイトに受け入れられていること、

そして自分の障害を知る事で、自分の中の謎がいくつか解き明かされたようなおさまり感があったのではないかと推測しています。

 

しかし、居心地のいい場所が浮き彫りになったことで、居心地の悪い場所もまた浮き彫りになるわけで・・・

一時は「そこに入りたい」と強く望んでいた普通学級でしたが、

中学校という環境や、まわりの友達の(良くも悪くも)目まぐるしい?成長ぶりに、

 

「ここは自分にとって安らげる場所じゃない」

「どうしても乗り越えられない壁がある」

 

・・・というような感覚がはっきりしてきたのではないでしょうか。

 

支援学級で過ごす時間が増えたとはいえ、やはり教科によっては協力学級に入らなければならないものもあるし、

学活や給食時間など、協力学級モードで動かなければならない場面も出てくるわけです。

 

人との関わり方がうまくできない、どうすればいいかわからない。

 

そのたびに、スムーズに学校生活を送っているように見えてた娘が渋り出す・・・

 

なんかもう、様子を見るとかそれなりのアドバイスとかより、

そういうの全部取っ払って、娘が気持ちよく登校できることに力を注ぎたい・・・

 

そんな事でいちいちつまずいてたら、集中したいものにも集中できねーじゃん。

 

誰にでも言えることですが、中学3年間てとても成長するし、大人に向けての過渡期として特に重要な時期だと思うんです(自分をふり返り)

感性を磨いたり、読書などで(主にマンガだけど)学校で学ぶこと以外の知識を身につけたり。

 

そういうのの、伸び伸びと思い切り深呼吸でもするように吸収し、成長する段階の妨げになるようなものは、

取っ払っちまいたいなぁ・・・

 

というわけで、新学期になりさらに支援学級で過ごすを増やしてもらい、

協力学級で関わることについても、支援学級のクラスメイトと行動できるように配慮してもらったりしています。

 

例えば、宿泊研修。

全てにおいてではないけれど、支援のほうで行動できる、そのほうが体験的にもメリットがある部分は、支援学級単位で計画してもらいました。

 

私にとって、これまでの数年間で初めて、さほど心配もせず、放置して見守れた学校行事になりましたね。それも宿泊だというのに。

6年生の修学旅行は行けなかったからね・・・

 

無事、宿泊研修から帰ってきた翌日だったか、突然聞いてきたのだけど

 

 

これはもしかして、6年生の修学旅行に行っておけばよかったと思ったのかな、

と思った。

 

もしそう思えたのなら、そう思えたくらい、今回のは楽しかったか充実してたかなんだね。

 

そう聞き返しても、いつものように「別に」って言うかもだけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

娘と一緒にカルテット (ネタバレ注意報)

今期、人気ドラマのひとつ『カルテット』。

 

出だしが遅れてしまいましたが、我が家でも確か、2話あたりから観ています。

このドラマを観ている方はご存知でしょうが、一言で言えば、ミステリアスな恋愛もの、という事にさせてください。

このドラマに私やオットだけでなく、娘も釘付けになって観ています。

 

なんせ、娘はそういうミステリアスな話が大好きだし、

キャラ1人ひとりの個性が光っているし、

それなりに笑いもあり、

それなりに…いえ、これがメインでしょうか… 大人の恋愛事情があふれています。

 

22時という時間帯のわりに (?) 赤裸々なラブシーンがあるわけじゃないので、

年頃の娘にはもってこいの性教育になるわけです ( 何がじゃ)。

 

そもそも娘はコミュニケーションが苦手で、学校では先生やクラスメイトと話をするのもおぼつかない人です。

 

それでも思春期の女の子らしく、

「好きな人がほしい」

「彼氏ができるかなあ」と、恋することを夢見ています。

まあ、同じ年頃の子はそんなこと、親になんて口に出さないでしょうけどね。

 

そんな娘と一緒に観る『カルテット』。

ワクワク、ドキドキなのです。

( 娘が一緒に観てるのそっちのけで私が!!)

 

松田龍平くんと、結婚が決まっている同僚のオネーサンとの絡みシーンを観てニヤニヤ、

満島ひかりさんとのキスシーンもニヤニヤ。

まあ、場面をいちいち娘に説明するのも野暮なので、黙って各々が無言で観ているわけですよ。

 

正直、私は多少の照れ臭さもあるし、多分オットもそうなんじゃないかなと思うんですが、そこはじっと堪えて…

もし娘から何か質問が飛んできた時のために、ドラマに集中しているわけです (笑)。

 

でも不思議と何も聞かれませんね。

 

おおかみこどもの雨と雪』を観た時は、

「なんであの2人、裸なの?」と聞かれたのですが、小3くらいでしたからね。

もちろん誠実に答えてあげましたよ、

「好きな人ができたらね、体をくっつけたくなるから、服が邪魔だったんじゃないかな」ってね。

 

それで今回の『カルテット 第6話』。

宮藤官九郎くんと松たか子さんとのベッドシーンが… ←そんなに激しくないよ!

そういう場面て、私もテレビに釘付けなので、娘がどんな顔で観ているのかは盗み見れないんですよね。

 

いやいや、そこはともかく、今回は官九郎くんとたか子さんの、出会いからこれまでを、それぞれの視点で辿っていくお話なのでしたが、

少しずつ、2人の関係が壊れていく様子を、ジリジリと観せているなあという印象で。

 

思わず娘に「ちゃんと言わないとダメだよねー」と言ったんですよ。

「嫌なことは嫌とか、こうしてほしいとか言わないからダメなんだよ」と。

すると娘も、うんうんとうなづいていて。

 

おお〜、これは「夫婦とは」を、『カルテット』というドラマを教材にして勉強できるではないか!

みたいな…。

 

私「やっぱさ、喧嘩すればいいんじゃないかなー」

娘「うん」

私「ムスメなら、喧嘩できそう?」

娘「う〜ん、今まで (誰とも) 喧嘩したことないし…」

私「じゃあ、喧嘩の練習しようか。誰とする? お父さん?」←何気に逃げる私。

 

本当は、夫婦ってみんながこんな形になるわけじゃないよ、と言ってあげたかったんですが、

「じゃあ、お父さんとお母さんはどんな夫婦?」なんて聞かれたら恥ずかしいので言いませんでした。

 

と言うのは嘘で、どんどん質問してくれ〜〜!!