スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘 (14歳) と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

あったかいんだからあ〜

気がついたら4月もみるみる過ぎて行き、

すぐに連休モードに突入しそうです。
娘が休み始めてから何となく、
私の中で時間が止まったような感覚になっていて、
年度またぎの実感がなく、
新しい年度が始まったという意識が持てず、いつまでも3月のままのような気がします。
そんな中、何となく日々に追われていましたが、
娘は何も変わらず生活しているように見えます。
まだ学校のことは考えたくないようだし、
友だちや先生にも会うのは気まずそうです。
それでも、これから家庭訪問は控えているし、相談の予定も入っていて、
人に会わずにすむわけではありません。
そして、会ったからといって、多少話をしたからといって、
娘が劇的に変わるとは思えないのです。
多分、これから地道に療育を始めて、継続して、
半年、1年など長いスパンが必要なのではないかと思います。
2年前にはすでに小さな悩みが生まれ始めていたなら、
やはり2年くらいは、自分を取り戻すのに時間がかかるんじゃないかな・・
そんな気がします。
自分を取り戻すって?
・・取り戻すというか、自分を受け入れるとか、
色々やってみたい、という気持ちになれるとか、そんな感じのことです・・
今さら悔やんでも仕方ないことですが、
あの時○じゃなく△にすれば、もう少し違っていたのかな・・とか、
ここまで追い込まずにすんだのかな・・とか、
つくづく自分が不甲斐ないものです。
とにかく、これから療育先を探して、
娘が慣れてきて、継続して通い、時間をかけて積み重ねるには、
半年、1年なんてすぐだろうな。
その間に、学校に行き始めるというシナリオはあまり想像できないし、
今はもう、1年後の中学校が、
はたして入学できるのかな・・というところまで、はしょってます。
その入学ははたして、
通常学級なのか支援学級なのか、
そもそも地元の中学校なのかさえ、
今は全く考えることができません。
在籍をどこにすべきか・・
それを考える時、
もう、障がいの告知を覚悟すべきなのかもしれない。
そんなふうに思い始めるこの頃です。
やはり曖昧な言い方では、ストンと落ちないのではないかと・・
自分の『障がい』の部分をしっかり見つめてもらわなければ、
何だか先に進めないような気がします。
自分の困り感に気づけない娘。
『障がい』という言葉を使うことで、
あなたはこうする必要があるよ・・と、
意識して療育してもらいたいな・・
それが、治療をするために必要な
がん患者の告知と似ている気がします。
(がんは治療をしない選択もできるけど、
障がいは療育をしない権利ってあるのかな・・)
乗り越えなければならないハードルは、
もう目の前にきているような気がします。
春の風は暖かいから、するりと飛び越えられそうな気にさせられるのです。