スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘 (14歳) と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

そういえば 昔読んだわ 三こすり半劇場

病院の診断が出ました。

 
診断と言っても、もともと別の場所で定期的に発達検査を受けていたので
それに加えてP-Fスタディという検査と、木や人を描いて分析してもらい、
その結果から診断をもらいました。
 
診断名は「広汎性発達障がい」・・・
って、やっぱり変わらないんですね・・
本当はもうちょっと具体的な診断名が欲しいところですが、それはまたの機会に確認しようと思います。
 
絵については、人を描く時に一部分にかなりの時間がかかり、全体を書くことはできなかったと (全体は描けるのだが、時間切れとなった)
 
P-Fスタディは、検査の抵抗もあったかもしれないが、2ヶ所しか書かなかったと。(この検査はマンガの1コマに2人が描いてあり、1人が言ったセリフに対し、もう1人の吹き出しに自分なりのセリフを書いていくものです。ざっくり)
 
先生曰く、自分の思いを言葉にできない、もしくは言葉にするのを避けているのだろうと。
 
そうです。とても思い当たります。
 
彼女にとって言葉とは未知なもので、
口にするのがとても不安なモノだったのです。幼い頃からずっと。
 
形のない、捉えられないものだから。
 
それを幼少期から療育の場で、幼稚園の中で、
訓練したり、日常の生活として積み重ねてきたのではないでしょうか。
 
何より、個別で行った療育は娘にとって大切な時間だったと思います。
先生と一緒に指あそびやゲームをしながら
 
自分の意志や感情を言葉に乗せること。
 
あの1〜2週間に一度の1時間。(確か)
その大切な時間は、小学校入学とともに終わってしまったのです。
 
支援級に在籍するという形で。
 
支援級に在籍する事で、時間割通りの授業ばかりでなく、
その子その子に合わせた支援・・を
期待しつつ、そこまでは望めないとあきらめつつ、それなりに過ごしつつ・・
 
結果的にはこの5年間、療育のない空白の時間を過ごしてしまった。
いや、過ごさせてしまったのでした。
 
もう何度も過去を遡り
「支援級に在籍したことは必要なことだったんだ」と確かめてきたのに
この空白をあらためて身に沁みさせられて
 
こんな事なら無理してでも通常級に在籍して、通級指導教室に通うべきだった・・
 
と思わずにはいられないのです。
 
あー、せめてこれから通級に通えるといいんだけどなあ・・
 
この近辺で療育に近い存在といえば、
やはり通級指導なのです。
 
ほかに先生と話してきた事は、
自宅でもう少し計画的に生活する事。
 
今までは外出に誘っても誘えたり誘えなかったり。
 
勉強も運動も嫌がり、何となく好きなこと (と言っても暇つぶしに近いかもしれんが) をしながらダラッと過ごす事に
私自身もモヤモヤしてきました。
 
なので娘の生活にもう少しメリハリをつけてもらおうと思います。
 
あとは・・
2学期に向けて、何かアクションを起こすのなら
「転校」も視野に入れてみようかなと思っています。
 
娘にとってあの小学校は、もしかしたら全く未練のない場所なのかもしれない。
少しでも行きたい、戻りたい気持ちがあるのなら
まだいくつかの作戦は考えられると思うのですが・・
 
戻るどころか、思い出したくもない場所になっているかも?
 
そうだとしたら、不登校になったという事は
娘が学校に三下り半を突きつけたからなのかもしれません。