私は小さい頃話すのが遅かったようです。
と言っても3才頃には話すようにはなったらしいけど。
それまでは何かを伝えようとはしているものの、親には「ごにょごにょ…」としか聞こえず、自分の思いが通じない事に癇癪を起していた(母談)らしい。
ちゃんとした言葉で聞き取れるようになったのが3才頃で、それからは堰を切ったようにダーーーッと話すようになったそうです。
私は就学前を、どこにも預けられず家で過ごしました。
時々近所に遊びに行き、お年寄りと過ごしていたと。
両親は共働きで家には祖父母がいました。
1人で遊んでいる時は、いるのかわからないくらいとても静かだと言われました。
姉が大好きだったので、姉とは思いっきりおしゃべりして楽しく過ごしたのを覚えています。
わりとお調子者でふざけた言動をする子どもでしたが、
「かしこまる」場面では言葉がうまく出ない事がありました。
例えば、朝起きて母親に「おはよう」と言われます。
自分も言おうとするのですが、口がうまく開かない。その時は照れくささもあったように思います。
自分が失敗などをして謝るべき場面。
(何てことしたんだろう…謝らなきゃ…ああでも言葉が口からうまく出ない…
のど元まできてるのに、そこから口の外に吐き出せない…
いい? 数を数えたら言うのよ…3、2、1、それっ…なんで言えないの…)
そうこうしている間に、謝るタイミングを逃してしまう。
「ありがとう」も、楽しい流れやノリのいい感じで「サンキュー♪」ならいくらでも言える。
だけど、本当にうれしくて思いが詰まっちゃうと、心の中で
(あ…あ…)と顔なしさんになりました。
挨拶と謝罪と感謝。
この3点がポイントでしたが、他にもかしこまったり、あらたまったりする場面は苦手でした。
だから逆に、子ども時代はお調子者になり、ごまかそうとしていたのかもしれません。
自分がうまく言えなかった場面で、誰かにその事を責められたり問い詰められたりする事はなかったと記憶しています。だいたいスルーされていたと。
ただその場面になった時、自分の中で(うっ…)と始まるのがわかります。
その瞬間は体が動かなくなる感じ。
表情が硬くなり、…そう、胸からのどにかけて重苦しい感じかな?
成長するにつれ、そういう場面は減っていき、社会人になる頃にはほぼ無くなったと思います。
仕事として、社会人として、自分の感情とか事情とか関係なく、
そうしなければならない事がたくさんあるから。
そして自然に、プライベートでもできるようになりました。
「その場面」に入る時は、一呼吸置いてる自分がいます。
そんな子どもの頃の癖については、自分では「変なところあったよなあ…」程度の記憶だったのですが、
ふと新鮮によみがえったのは、娘に発達障がいがあると知ってから。
不安の強い娘は、もともと言葉自体発するのが苦手でした。
CMで覚えた台詞とかどうでもいい事はするっと出るんです。
でも、感情がのった言葉、思いを込めた言葉が、なおさら出ない。
挨拶・謝罪・感謝…
おんなじやんけ・・・
私は自分自身が発達に何かある…とまでは考えた事はありません。
ただ、娘の「ありがとう」「ごめんなさい」が言えない気持ちがとてもよくわかりました。
自分もそうだったから…。
でもそれはただの性格の一部だと考えていました。
スマホを使うようになって、発達関係の記事や情報を探して読んでいると、
「場面緘黙」「場面緘動」という言葉に出会いました。
「緘黙」は前にも聞いた事があります。
娘の同級生に「場面緘黙」と思われる子がいました。
また、私の高校時代、今思えば「場面緘黙」と思われる同級生がいました。
娘の同級生は不安・緊張が強い印象でした。
私の高校時代の同級生は別のクラスでしたが、噂では友達とは普通に話せたそうですが、授業中は「絶対返事しないぞ」という強い意志が感じられたそうです。
ネットで見かけた緘黙…
それを機に、緘黙という言葉を少し意識するようになりました。
娘は今でも言葉を出すのが苦手。おしゃべり、と言えるようなおしゃべりが成立しない。
音読や劇の台本は平気だし、簡単な会話のやりとりはできる。言葉にできないからといって何も考えていないわけじゃない。
それらの事は発達障がいからくる、コミュニケーションの問題だと思っていました。
もともと不安の強い子で、自分を外に出せるタイプではなく内にこもる、ためるタイプ。
自分の子ども時代、娘の発達障がい、緘黙のこと・・・
これからもう少し色々考えてみたいと思います。
娘への支援ができる手がかりとして・・・