娘が不登校になり4か月半が過ぎた。
過ぎてしまえば何となくあっという間な気がする。
最近、放課後等デイサービスと適応指導教室を、それぞれ週に1回ずつ利用することになった。とりあえずそこまでこぎつけたので、少しは前に進めたような気持ちになっている。だからあっという間な気がしたのかもしれない。
これまでの事を1カ月単位でふり返ってみる・・・
学校を休みだした頃~ かなり長引きそうな予感と、学校(つまり当時の担任)に相談してもらちがあかないと判断して、手短なところへの相談をする。そして春休み。
この頃はただただそっと休ませたかったように思う。母はあちこちの連絡に追われた。
1か月後~ 新学期からのスタートは無理と断念。年単位の不登校を覚悟しつつ、1学期中にできるアプローチを模索。他にも相談できる場所を広げて予約してみる。この時期はまだ母子ともにゆっくり過ごしたい気持ちがあったように思う。
2か月後~ 何となく間延びした時期、気持ちも悶々となる。残りの相談と待ち遠しかった医療機関受診。運動会に向けてアプローチするも断念。
3か月後~ 適応指導教室見学、待望のことばの教室に相談。修学旅行に向けてアプローチするが断念。医療機関での検査・診断・方向性を確認する。不登校の生活に何となくマンネリな空気…少しずつ動き始める準備。
4か月後~ 放課後等デイサービス見学・利用開始、適応指導教室通室開始。定期的医療機関への受診。そして夏休みへ。休み中に学校との話し合いを予定。
こうやってたどってみると、やはり4カ月半の、月日の長さを感じる。
あらためて思う事は、「待ち」の時間が長いという事。
相談の予約を入れて、早くて3日、遅くて2カ月もかかってしまった。あちらの事情もあるかと思うのだが、長くしていた首がもげそうだった。
医療機関にしても、もともとかかっていた所は3カ月待ちで、相性が今一つだった事もあり、良い機会だったので別に移った。それでも1か月待ち。
それから、学校との話し合いが遅くないか?とも思う。
そりゃあ、こちらから要望があれば相談に乗るつもりはあるのかもしれないが、娘が登校する気持ちになれず、当時の担任とも会う気になれずでは、手の打ちようがない…のかもしれない…多分。
本当はこれは、すぐにやってもらうべきだったと反省している…休みだした原因になりそうな出来事の情報収集とその時の対応とその評価と…をもらっておくべきだった。各担任・支援員・TT・教科担任・養護教諭など、関わりのあった教職員からの情報収集…これを担任にまかせた結果が「思い当たることはない」・・・うそつけーー!!
あとから聞いた話で、娘が追いつめられたのではないかと思われる出来事がいくつか浮上したのだが、担任の口から聞いた話ではないものもあるし、聞いたとしても何の問題も感じていないようだった。
しかし、いまだにそれらの出来事を娘に聞いてみたり、その時の気持ちを確認する気にはなれない。
傷口をナイフでつついているイメージしか湧かないのだ。
あと1つ、娘のケースではことばの教室の通級は対象外と言われた。
通級は母としては、地域では1番身近な療育機関と考えていたし、できるものなら通いたかった。
他の相談機関からも通級をすすめられた。
だから、対象外というのは、娘が、たまたま、この地域の通級を利用するには、前例がないし、定員であふれかえっている所へは入れない・・・
という気がするのだ。
ただ対象として対象外なのでなく、状況として対象外なんだろうなと。
・・・(いや、何なら、動きますよ…同じ思いして利用できない子がいるんなら…)
まあ、とにもかくにも、あれやこれやを経て今に至るのである。
手当たり次第、色々な分野、色々な人からの情報を集めたかったので、
児相・教育センター・医療機関・保健センター・療育センター・SC・SSW・臨床心理士・・・
ただ話を聞いてもらっただけの所もあるけれど、
話を聞いてもらえば、娘の状態を知ってもらえる。
困っている、悩んでいると伝えれば、共感してくれる。
もしかしたらヒントがもらえるかもしれない。
もしかしたら参考になる情報があるかもしれない。
実際、そんなヒントや情報のおかげで、新たに行動できた部分もあったわけで。
そして、整理整頓をした結果、今ここがあるわけで。
これからまた、新たな動きが必要になるかもしれないし、後退する可能性も十分ありうる。
そのうち娘の傷口もかさぶたになり、少しつついたくらいではぶり返さないかもしれない。
「あの時はこんな気持ちだった」「ここがつらかった」・・・娘の口からそんな言葉が聞けるようになれば、次のステージに一歩近づけるのかもしれない。
とりあえず、今ここキープだなあ・・・。