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スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘 (13歳) と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

娘がどこに向かおうとしているのか

娘のこと

小学校に入学してから、娘が学校生活の枠のなかで過ごすことを見守ってきました。

そうしながらも娘が学校に通っているあいだ、わたしは娘をどこへ導けばよいかいつも迷っていました。
娘には障がいのことはまだ説明していない。
なぜ支援級にいなければならないのか、ならなかったのか?
それらのことは、はっきりとした意味のある言葉でというよりは、
子どもだましのようなやんわりとした言葉を選んで伝えてきたように思います。
娘の理解力や判断力にあわせて話したつもりでした。
また、娘の将来を考えた時、幼少期はまだまだ漠然としていて、まったく想像できず、予想も立てられなかったのですが、
小学校に上がり、まわりの先輩支援ママさんの話や、高等支援学校の様子、福祉的な仕事場を見学することで、「これは娘には違う気がする」「娘にはこういうほうが抵抗なくできるだろう」などと、少しずつ今の娘と将来の大人像とを照らし合わせることができ始めてきたように思います。
しかし、そのことを娘に話してイメージしてもらう…ということはしてこなかったのです。
それを話すということは、今まで足並みをそろえてきた友だちとは違う道を進むことになる。
普通級の友だちから考えると、昨年までは支援級という、すでに違う道だったのですが、
本人がどこまでその違いを意識しているのかはわたしにはわかりませんでしたし、
あえてこちらから聞くことも、その説明をすることもしませんでした。
聞かれればやんわりとは答えてきた…つもりです。
この先、中学校に進学する時が、次の大きな節目ではありました。このまま支援級で行くのか、普通級に変えるのか。
ただ、わたしの中では道すじができていて、中学でも支援級を考えていたし、高校も支援のほうで情報を集めていたのでした。
しかし、娘にとってはそれらのことをよくわからないまま過ごしていたわけで…
心理士さんが言うように、娘にとって今現在の自分の位置や、将来の自分のビジョンがとても曖昧で心もとないものだったと今なら理解できます。
わたしもある程度の道すじをイメージしてはいても、やはりそれがうまく運ぶのか、違う選択に迫られてしまうのではないか、という不安もありました。
意外だったのは、娘が支援級に不快感を示しだしたことでした。
娘がそんなふうに考えていたんだ、そんなことを考えられるように成長しているんだ…と軽い驚きがありました。
幼少時に説明を受けた診断からは、そんなふうには想像できなかったから。
娘は軽度 (実際にはボーダーあたり) の知的障がいをあわせ持っていると把握していたから。
だけどわたしが思うよりずっと、娘は色んなことを理解していて、考えていて、受け止めていて、受け止められずにいたんだなあ…。
先日、娘が死の予告的なチェーンメールに敏感に反応したのは、
娘の中に以前から死というものを意識して生きてきたからではないか、と心理士さんに言われました。
それは、崖のようなところを歩いて生きているような不安定な感じ…。
だからそのメールと自分の持っている意識がマッチングしたのではないかと。