スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

世界の中心より世界の果てが好き

魂を拾う旅の果て。

その行き止まりには…
自分の中では折り合いをつけていると思うし、実際つけていたことを確認することができた…旅だった。
2つの問題が常に幼い時からわたしの中に渦巻いていたらしい。
1つ目、少なくとも小学校にあがった頃から、「この仕事につきなさい」と、親の夢を?理想を?言い聞かされてきたこと。
そして父の願いは、わたしを、自分の子ども達を、親族を手元に置いておくことだった。
自分の目が、手が届く場所に。
そのことは、わたしがいま親元を離れ、自分の思うままに生きながらこの地に立っていることが、結論であり結果であり解決方法となった。
そして今のところ解決済みである。
2つ目、幼い頃からいつも明け透けな性にさらされていた…ような気がする。
それは間接的にだけでなく、直接的にわたしにぶつけられたりもした。
そのことが、小さい自分にも、思春期の自分にも、大人になった自分にもつきまとい、その反動で自分自身を攻撃していた時期もあったようだ。
そこまではまだ、彼らに対して死を漂わせたことはなかったのだが、結婚し子を持ってもなお、つきまとう彼らの影に嫌気がさして、結論を出したのだ。
「死を願うこと」…その結果、その解決方法として必要なことは、わたしの心の中に彼らのお墓を用意することだった。
だから今、そのお墓を見つけたからといって、片づけるつもりはない。
自分の魂は拾い集められたとしても、その結論を覆す気にはなれないのだ。
むしろ覆す必要もなく、「老い」や「病い」というものに忍び寄られている彼らが、ゆっくりとお墓へ足を運んでいるのが見える。
わたしは急かすこともなく、手に汗を握ることもなく、凝視するわけでもない。
むしろ見つめたくもない。
ただただ、風の便りを待つばかりだ。