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スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘 (13歳) と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

DEAR MY TEACHER. Ⅱ

本当に未来なんて予測のつかないものですよね。

発表会の練習前は、スモールステップと言われても、具体的にどのくらいの感覚で進めていけばよいのか戸惑いはあったのですが…
学校へ足を運ぶ経験が少し積み上げられた事で、次につなげやすくなった感じです。
これからは娘と先生と(とりあえず私も) 話し合いながら、計画を立て、実践してみて、どうだったか見直してまた次へ…みたいな感じでつなげられるとよいのかなと思います。
娘にとっては登校が義務的なものでしかないかもしれませんが、そうだとしても「この位であれば足を運べそう…」な手応えを実感して、少しずつ自信を持てるといいなと思います。雪が降るのが待ち遠しい冬になりそうです(笑)。いえ、焦りや過度な期待はないつもりですが…。
 
障がいという言葉の捉え方も、昔からみると変わってきている気がします。
発達障がいについても、娘がはじめて診断を受けた頃と比べて、色々な事がわかってきて、療育や治療も進歩してきていると思います。(残念ながら、トンデモナイ方法もついてまわるのは、障がいや病気のサガですが)
 
3歳半で障がいを知った時はやはりショックでしたし、今に至るまで何度も「障がいがなかったら…」と思ったし、健常の子どもさんがうらやましいと思ってきました。多分この気持ちは一生続くと思います。
こういう負の感情を抱くと、その子を受け入れていないとか、後ろめたさのように取られがちですが、私はそれはそれで別なんじゃないかな、と思っています。
障がいや病気を受け入れる事をよく美談にされがちですが、負の感情は持っていていいと思う…だって宝くじが当たったように喜べるものではないのだから…。
 
娘のしんどさをできるだけ取り除いてあげられればいいな…とは思うのですが、「こうなってほしい」という願う事は、正直、本当はないんです…多分…。
ありのままで生きられるなら全然かまわない。でもありのままでは生きられない、生きづらいから、あるべき姿(社会がこうあってほしいと思う姿なんじゃないか?) に近づけるよう支援しているわけで…。
 
理想を言えば、障がいのある人が変わらざるを得ないのではなく、社会がその人に合わせる、寄り添えるといいのにな…と思います。
もちろん本人が望むのであれば、支援は惜しみませんが…。
そうでなければ、ただ「させられている」としか感じないのかもしれません。
難しいテーマですよね…。