スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

ブルータスお前もな!

「その本にどんな事が書いてあるの?」

先日、私が図書館から借りた本の事で兄2が聞いてきました。
『自殺する子どもたち』

 

自殺する子どもたち―自殺大国フランスのケア・レポート

自殺する子どもたち―自殺大国フランスのケア・レポート

  • 作者: エレーヌリザシェ,シャンタルラバット,斎藤学,H´el`ene Risacher,Chantal Lasbats,白根美保子,中井珠子
  • 出版社/メーカー: 筑摩書房
  • 発売日: 1997/12
  • メディア: 単行本
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何やら物騒なタイトルですが、フランスの若者の自殺について研究、分析されている本です。また、自殺を図った子どものインタビューや、遺族のお話や活動などが載っていてとても興味深かったです。
そのような事を簡単に説明すると、兄2は「自殺する人って…」みたいな話を始めました。私はふんふんと聞いていたのですが、彼が話を切り出した最初から、彼に聞いてみたかった質問をしてみました。
「ねえ、自殺したいって思う?」
してみたいか、とか、してみたかった、ではなく、現在断定形的質問です。
兄2は今どうこうは考えてはいないが、もし、するとしたら計画的に、成功するように考えると答えました。
私は思わず「ブルータスお前もか…」という気分になったのですが…。
最近、兄2は少し難し気な本を読むようになり、例えば太宰治とか、愛着障害とか。まあ、そういうものに興味の出てくる年頃ではあるかなあと見守っていました。
自殺を含め「死」というものについても、人は誰しも成長の過程で1度はそんな謎や疑問にぶつかる事があると思うのです。
自分はどこから来てどこへ行くのか、そして今ここにいる場所は一体どこなのか…。
そういう意味では、うちの子ども達は正常に?成長していると考えてもいいかもしれません。
また、その事をこうして親に打ち明けたりぶつけてくれる事は、良くも悪くも、少なくとも私にとってはありがたい事です。本当はこういう話は親には話さないものなのかもしれないし、親に話すという関係が必ずしも良い関係とは言えないかもしれませんが。
兄2は普段、自己主張する事がなく、感情をぶつけてくる事もあまりしません。かと言って言われるがままというわけではなく、自分なりの考えをはっきり持っているし、好き嫌いもあるので、不快や怒りといった感情も抱いているだろうなと思います。ただ、それを表には出さずに飄々としたスタイルを取っている印象です。そしてそれが自分の姿なのだと思い込もうとする節があります。
きょうだいの中では1番、私に対して優しさを表現している子です。気遣うというか、遠慮しているとも言える…。
まあしかし、うちは全体的にそういうタイプの子ども達ではあります。
自分の意思や感情をあまり表出せず、言い争いを嫌い、生きる事に消極的で、生きる力が弱々しく思える…肉体的にも精神的にも。
娘には発達特性があり、兄1はどちらかというと弄られやすい性格で、2人とも登校拒否や死んでしまいたい、という言葉を口にした時期がありました。今も言わないだけで、そう思っているかもしれません。この2人に交互に手をかけている間も、私の中ではいつも、何となしに兄2の存在が気がかりでした。
子ども達の中で1番心配なのは、実は兄2なのではないかと、幼い頃から危惧していたからです。
幼い頃の子ども達を思い浮かべると、兄2は1番自己主張のはっきりした子で、2歳頃の反抗期では、1番駄々をこねていました。自分の思い通りにならないと (これは単なるワガママではなく、彼なりの筋の通った考えなのです)、もう何もかもおしまいだと言わんばかりに泣き崩れ、気持ちの切り替えがすぐにできない子でした。
なんか、そんな特性ありますよね。
私はこの子の成長が1番不安に感じたものです。
しかし幼稚園に入ってから、彼は集団に溶け込んで、いわゆる親を困らせるような行動はなくなっていきました。協調性があるというのか、周りをうまく和ませたり。すぐに友だちを作っては家に連れてきたり。
ただ、その友だち関係には彼なりに気を遣っているように思える時もありました。また、幼稚園の先生から、彼が何度も同じ質問をする事があると言われました。それは彼が先生の話を聞き漏らすのではなく、自分が耳にした話の内容が本当に合っているのか、聞き間違いではないか気になるのです。
その頃、私も何度か同じ事を先生に確認する事があり (以前、生まれたばかりの娘にワタワタしていて、園行事を見落とすところだったから) 、何となくそういうの見てるのかな…なんて思っていました。
心配性というのか神経質というのか、そういう性格は持ちつつも、それなりに成長していた兄2ですが。確かに時折その心配性な面が顔を見せる事があって、その時々に対応してはいましたが、不安症、とまでは感じませんでした。
人との関わりが円滑で、彼の周りはいつも朗らかな空気に包まれているように思えました。そう見えても、彼が多少無理をしている部分があるのでしょう。
突然爆発する事もありました。それは暴力とか暴言ではなく、逆に内に籠るような無言の爆発なのです。
そんな事が時折あったので、兄2に対しての私のイメージは、一見問題なさそうで実はここぞという時に脅威という感じです。
そんな兄2が、自殺の話を私にしてくれる、自分の考えや周りの人達について感じた事を正直に話してくれる。
内容はともかく、話をする対象として母親であるにも拘らず私を選んでくれたのは、母としてよりも、いち大人として素直に嬉しいです。私は彼が何を感じ何を思うのかが、とてもわかるような気がします。私も昔その道を辿ってきたからです。また彼も直感的にそれを見抜いたのだと思います。
彼は生きている実感があまりない。好きな事やりたい事がわからないし見つからず、生きているのが辛いというより意味が見出せないようでした。
子ども達がみな口をそろえて同じような話をする。
自殺の本にも書いていましたが、自殺は社会的な問題であり、家族的な問題なのだそうです。
やはり家庭の中に間違いなく死を感じさせる何かが漂っているのだろうな…。それを改めて確実なものにした印象です。
それはつまり、私自身の問題がまだ根強く、その芯が取り切れずに根を張っているのだなあと胸に刻むのでした。
彼には折に触れ、私の事を正直に話すべきだろうと感じました。そうでなければ、自分がなぜそんな事を考えるのか、学校の楽しげな友だちと自分との違和感に理由が付けられず迷路から出られなくなるのではないか。
彼に発達の特性があるかはまだわかりません。しかし彼が幼い頃は、少なくとも疑った事はあります。
私は今カウンセリングを受けていると彼に話しました。兄1も娘も形は少し違えどカウンセリングを受けた事があるし、娘は今も心理士さんと定期的に話す機会を持っていると。
私でよければいつでも話を聞くよ、と彼に話しました。ただ私は専門家ではないので、あまり良いアドバイスはできないだろうから、もし行き詰まったら、あなたもいつでもカウンセリングできると伝えました。
兄2は、カウンセリングそのものもそうですが、精神科や薬については否定的です。誤解や偏見もあるようなので、私なりに説明して、人間誰しもそういう状況に直面する可能性があるし、病院に行ったからといって、失格者ではないと話しました。
そして週末、2人でドライブに行こうと誘ってみました。