その記憶は長い間忘れ去られていて。
また、思い出したとしてもこんなに感情が溢れはしなかった。
私にとってポチの死は、ただの死でしかない。
死というものの、それ以上も以下でもない。
何を思おうと死は訪れる。
何を願おうと死は通り過ぎる。
何事もなかったように。
そして何事もないのだ、そのイノチがここに無いという事以外は。
昔、自分でも覚えていないくらい幼い頃、父親が畑に穴を掘っていたそうだ。
父は傍にいた猫を指差して、私に「その猫を埋めるからこの穴に入れなさい」とからかったそうだ。
何故その通りにしようとして、猫を抱きかかえたのかわからない。
父の言う通りにしたまでかもしれないし、その行為が何を意味するのかがピンとこなかったのかもしれない。
その時、兄が必死に私を呼ぶ。
私の名前を何度も呼び、
(やめろ、よせ)
と目で合図を送っていたかもしれない。
とにかく覚えていないのだ。
結局、その事は父が子ども達に悪ふざけをした、という笑い話となるのだが。
父は私の躊躇ない行動や、対して兄が慌てふためく様子を交互に説明し、楽しげであった。
兄は兄で、自分が父の思惑に引っかかった事への照れ隠しなのか、私に冷たい奴だと言い張る。
私はそのように子どもの心を試したり、からかう大人に嫌悪感を抱く。
また、自分には非がないと弁解しているようにしか見えない兄が疎ましい。
もちろん兄に非はないのだ。
しかし私にだって非はないはず。
それが何故、幼い頃の思い出話で食卓を彩るのか。
大人になって車を運転したばかりの頃、冬道のカーブで突然何かにぶつかった。
ガツン! と聞こえた。硬い雪氷の塊にでもぶつかったようだった。
そのまま無意識に車を走らせていたのだが、ふと脳裏に、ぶつかる直前に黒い影が動いてくる映像がよぎる。
雪氷は動いてはやって来ない。
もしかして…違うよね…
とても嫌な予感が充満して、車をUターンさせた。
確かこの辺り…車を停めて、暗闇のなか車道に目を凝らした。
塊を見つけた。小型犬だった。
いや、もうすでに気づいていた。あのガツンという音は、生き物がぶつかってきた音だと。
認めたくなかったのだ。
何も考えなかった。まず最初にしようと思った事は、その犬を抱えて歩道の上に寝かせる事だった。
犬は温かかった。暗闇で見えないが液体の感触はない。
ただ、全く動かなかった。
もしかしたら脳震盪を起こしているだけかもしれない。それでもあのまま車道に倒れていたら次の車に轢かれてしまうかもしれない。
嫌というほど見てきた光景をせめて避けたくて、歩道にそっと寝かせた。
お願い、明日の朝ここを通る時には動けるようになって、いなくなっていて…。
翌朝、その犬は同じ場所に寝ていた。
死んでしまったのかわからない。
もしかしたらまだ意識のないまま眠っているかもしれない。
目覚めて自分の家に帰ってくれたらいいのに。
翌々日、そこにはもう犬の姿はなかった。
ごめんなさい。
あんなに死なせたくないと願っていたイノチを、自分がいとも簡単に奪ってしまえるのだから。
それから車に乗るたびに、しばらく動物には怯えたし、自分の命も事故を起こせば、呆気ないものなんだろうな…と思うようになった。
長旅の前には自室の整理整頓を行う。
もしかしたら、2度とこの部屋には戻れないかもしれない覚悟をして、ドアを閉める。
そんな日々が、死を敏感に感じ取り収集していたのだろうか。
それを子ども達に引き継がせるわけにはいかないよなあ…。