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スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘 (13歳) と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

メンヘラ? こじらせ熟女? そんな君の名前を教えて

自分のこと

エロアカを作って三ヶ月。

 

色々と試行錯誤しながら、何とかやっております。


エロ?裏?界隈はDという水面下で動いているから、TL上は穏やかな川の流れに見えてもなかなかどうして。


三ヶ月というと、若いカップルにとっては倦怠期の始まり…
ツイッターも三ヶ月たつと、何となく中だるみというか、飽きるというか、
「私、何やってんの?」
って気になる… エロアカならなおさら…
何か目的や目標がはっきりしてないと、ブラブレのブレまくりなわけです。


なので、気持ちの整理も含めてまとめておこうと思います (あくまでも個人目線なので、参考にはなりません)


こういうアカウントは、リアルや表アカと違う自分の一面を出せる、という利点はあります。
だから、そちらでは試せないことを試したり、できないことを実行することも、ある程度は可能な気がする。
だけど、ここにいる自分はどこか虚像だから、足にしっかり力を入れてないと、波に押されて引っ張られそうにはなる。


そう言いながらも、時折り自分の本質がチラリと顔を出す時があるから、自分が多重人格になった気分にもなる。


だから、エロアカとして何かとアクションを起こしてみたら、自分の忘れていた自分を思い出すことができるかなと思ったり。

 

エロなのか裏なのか、よくわからないけれど、その界隈にいると、RTは使わずいいねを押すことが多い。

リプもあるけど、なんか使いにくい雰囲気なので、Dを使うようになる (人によっては全く使わない人もいるみたい)

たいていの事は挑戦してみたんですよ。
エロリプの対応や、Dのやり取りや、自撮りや (爆)  etc.…と言ってもそれくらいかな~? (オフパコはしてね~!笑)

ツイッター始めて二年半経つんですが、ここでようやっと、ブロックを躊躇わずにできるようになりました! 鍛えられたのかな??

 

アイコンの雰囲気や、プロフに「エロ」だの「人妻」だの「熟女」だの書いておく。

それが理由だと思うんだけど、そうするとですね、その界隈の男性がフォローしてくるんですよ、多分。

 

こちらのツイートを読んでくれてるのかわからないし、いきなりリプで「フォローしてください!」とか、相互になったら即、Dで挨拶や局所自撮り画像とか (私は相互の方のみDできるように設定)

 

そうするとですね、リアルとは違って (ここ大事!) 、自分がいきなりチヤホヤされてる気分になるんですよ、モテ期到来ですよ… 中身はどうあれ。

 

「この人、私にばっかりいいねしてくれてる?」 (みんなにしまくってるっつの)
「Dで口説かれてる〜」 (手当たり次第口説いてるっつの)
「これはある程度、会話おつきあいしないと失礼よね…」 (不快なら返事しなくていいっつの)

 

まあ、この辺の判断がネット慣れしてないからもう、ね (そこじゃないかも)

でも、その辺あたりからまたちょっと判断に悩むというか、私どうすりゃいい?みたいになるんですよ…

 

もちろんDでエロい話をするのは時には楽しいし、甘いことを言われると本当、満更でもないんですよ…

でもなんか、自分の良心を翻弄されるというか…

みんな偉いよな、めげずにツイッターやってて…


例えば、自分がほんの少し我慢すれば、それは極端な話、犠牲になればという事なのだけど、そうする事で相手が楽をする、助かる、幸せになれる… という状況に、非常に弱い。


だけど、それが自分にとって我慢する必要のないもの=相手にとって得にならないものには食指は動かない。
ただの損得ごとなら、逆に気にもならないんだが、その相手が、少しでも、楽になれるとか助かる… あたりの分野がとても弱いんだな…
 
そんな場面に出くわすと、自分の損得や感情や意思のようなものは影が薄くなり、すぐさま「ああ、この人は大変なんだな、辛いんだな、自分が我慢すればいい事なんだな…」と受け止めてしまう。


同情とは違うと思う、可哀想という気持ちにはならないから。
そもそも、可哀想とかいうの嫌いだし。


何だろ… 自分を犠牲にしろよ、と、その人からも周りからも促されるような、誘導されているような気持ち?
それに操られて、その仕掛けにまんまと足を取られるネズミのような。
 
昔の記憶を思い出した。
家族の記憶の中に、そういう場面がいくつか、あるいは、いくつもいくつもあったのかもしれない。
子ども、と言っても物心つくかつかないかの遠い記憶なのだけど、その頃はまだ争って抵抗して泣き叫んでいた記憶がある。


わたしは「だはんちゃん」だったのらしい。
食器棚と冷蔵庫のドアひとつ分の隙間に寝転がって、足で壁を蹴りながら、気がすむまでずっとゴロゴロ回転していた記憶がある。
これってクールダウンだよね…

 

自分でも覚えているかどうかな頃の子どもの自分は、自分の気が済まないとよく「だはん」してひっくり返っていたらしい。
でもだんだんと、気がつくと聞き分けのいい子どもになっていた。

今思うにきっと、ある時、諦めたんだと思う。

これが一番いい選択なんだ、みたいな。

 

その状況というのは、たいてい年上のきょうだいが絡んでくる。
そのきょうだいは、私よりいくつか年上で、田舎町の本家に生まれた大切な跡取りで。
なのに小さい頃は体が弱く病気がちなので、特に母親は神経を尖らせていたと思う。


体が華奢で病気がちで、気持ちが優しくて大切にされた跡取りなのだけど、
その下の妹がそこそこ丈夫で利発で (とりあえずきょうだいの中では) 、口もたつ (ただのおしゃべり) な妹がいたら、
やはり心穏やかではないようだ。

 

妹が褒められると年上のきょうだいは貶される。

男としての、跡取りとしての期待が大きいから、余計に強調される。
例え妹が褒められる側だとしても、比べられるのも、誰かが蔑まれるのも嫌いだ。
ほら… またこっちを見てる、憎らしそうに、妬ましい目で。

 

(今まで気づかなかったけれど、あれは妹を褒めたかったんじゃなくて、跡取りを鼓舞したかったんだな)


妹には、そのきょうだいが、気が優しくて穏やかな性格には思えなかった。

しかし、それでも跡取りは優遇される。

病弱だと、さらに優先される。
妹とはいえ我慢する、年上のきょうだいよりも。

 

なんかエロアカと似てる…
自分の犠牲で誰かが楽になる、助けられること (まあエロだと欲求解消のはけ口みたいなもの?)
根源はここなんだろうな。

 

多分、全く知らなかったわけじゃない。
幼い頃のほうが、もっと鮮明に色んなことを感じていたし、覚えていたと思う。

だけどだんだん忘れるように体が、頭が適応していくんだろうな。

そんな事をまたひとつ、エロアカで気づかされたというか、思い出されたんだけど。


エロアカのいいところは、疑似恋愛を設定できるって事かな。
それが、ヨロシクないところでもあるんだろうけどね、特に若い人達には…


まあ、私の場合、こういう事はリアルではもうできないからね、年齢的にも環境的にも。

そんな世界で、図らずも、自分の中に隠れていた「何か」とバッタリ出くわすことになり、ハッとする。

まあ、何となく、やってみたら何かあるんじゃないかな? という、予感のようなものは感じたんだけど…

恋愛や性的なことって、人の本質を暴くものじゃない? 


だから、やっぱりやってみてよかったし、まだこれからも続けようと思ってます…
まだ拾い忘れてる自分が、残ってる気がする。

 

でもこういう事は、自分のことだから自分判断でやってるけど、人には勧められない。
何となく危険な気もする… 体張ってるしな (笑)
でも確かに、気持ちを持ってかれないようにするのが結構大変 (え、私だけ……???)

 

隠れ落ちていた自分を拾って、その事実を知ったからと言って、明日からあるべき自分になれるわけでもなく、
それなら知る必要もなかったのでは? とも思うのだけど。
やはり知らずに変わらないのと、知っていて変わらないのは、気持ち的な違いはあると思うんですよ。

 

そういうわけで、エロアカ、まだまだ続けます。
やっと少しコツがつかめてきた気がするけど、まだまだ修行が足りないぜよ…