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スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘 (13歳) と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

つぶやきつなぎ

不登校

先週の話し合いの通り、学校に足を運んでみた。

今日は教室で先生の話をみんなで聞く時間。足取りはまずまずで、渋ることはなかった。

みんなのいる教室に入るのは1ヶ月ぶりか…。

教室に向かうもまだ休み時間中で、わいわいしていて教室に入るのを躊躇う様子。

廊下でうろうろ。

友だちにもすれ違うが少し落ちつかない感じ?

自然にあいさつしてきたり、何となくじろじろ見られたり、さり気なさを装い様子を伺っていたり。

女子っていうのはそういう、さり気ない自然な感じがうまい子がいるなあ…

気にかけてくれてるというより、興味本位で様子を見ているように感じるのだが…

何だろうあの感じ、何が狙いなんだ?

廊下で心許なくしているのもなんなので、教室に促し席に座らせる。

そのほうが気持ちは楽かなと思うのだけど、果たしてどうだったろう。

チャイムが鳴り先生が来てお話。

20分ほどで終了。

その後グループに分かれての話し合いがあるのだが、それには参加せず帰ると事前に取り決めていた。

仮にここで「もう少しいる」となっても帰らせたほうがいいかなと思う。

もうちょっといけそう…の惜しさを残すくらいが、次のハードルは楽になるのではないか。

決めたことは変更しないほうがいい。

それでもつい聞いちゃうんだよね先生は。まだいけるかなと思うから。

廊下を歩きながら「緊張したよね、頑張ったね」と励まし、家に帰ってから娘と確認する。

席に座ってみてどうだったか、先生の話は、みんなの反応は…休み時間の気持ちを聞いておけばよかったかな…。

席のことも先生のことも、気になることや嫌だなと思うことはなかったらしい。

友だちのこと…目が合うのがちょっと(結構?) 苦手らしい。

娘の席は後ろ側なので、何かの時に誰かがふり向くと目が合ってしまうと言う。

「なんで目が合うのか知ってる? あなたが相手の目を見てるからだよ」

娘にとっては相手がじろじろ自分を見ているように感じるのかもしれない。

実際今日は久しぶりなのもあって、少し驚いたように見られたり軽くじろっとなってたかも。

でも目が合うということは自分も相手を見てるから。

見る時もあるけど、合わせたくない時は鼻とか口を見るようにしてみたら?

…とアドバイスしてみたのだがどんなもんだろう…

確かに目が合うとドキッとする事があるし、おどおどしたり目が泳いじゃいそうだよなあ…

教室にいる間、違う映像が浮かんだり思い出したりしたか聞いてみたけど、それはなかったらしい。

先生の話は聞けたと言ってる。

来週もまたこんな感じで行ってみないかと促すと、うなづいていたので了承とみなす。

まだ1時間の授業も教室にはいれなさそう…な印象だったけど。

とりあえず今は。

それが週に1日だけで続けてみよう。うまく慣れてくれるといいけど。

連絡帳には障害の限界と、障害の受容(親) について語ってみた。

先生の目にはわたしがどれだけ受容できているように見えるのだろう。

「受け入れる」とか「受け入れない」とか、「なければ」とか「られない」とか、その辺はあまり考えた事がないなあ…何にしたって娘は目の前で生きて生活している。

それならわたしは娘が生きているという事を受け入れたいって感じか。

「あるがままの姿」と「あるべき姿」の間に流れる河は広いか狭いか深いか浅いか。

あるべき姿って、社会が望むべき姿なんじゃない?

あるがままもあるべきも、娘にとっては意味のないものにも思えてしまう。

いやなら、つらいなら変わるべきなのかもしれないし、望むのならそのままでいいのかも…理想論かもしれないけど。