スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

メドゥーサは鏡を二度見できない

もう1つのブログ『Book of the njght』がとりあえず終了しました。やたーっ。
 
あいうえお順に女性名をタイトルにして、かれこれ3ヶ月…かあ…しみじみ。
 
私は約2年前からツイッターを利用しています。
きっかけは、上の子とともにスマホを購入したので、SNSについて学びたかったからです。
娘に関する情報が欲しいという理由もありました。
それと同時に、個人的な関心事として、セクシュリティな事を語れる場にもしたかったのです。
しかし、ただ1人で呟くのではつまらないし (やはり反応がほしい) 、一方的に質問したり持論を展開するのも違うような気がして…。
男性アカとしてエロい事を呟いていた時期もあったのですが (若気の至りだわ)、何だろう…なかなか思いきり、気持ちよくは呟けませんでした。
今は結構 (かなり?) 、好き勝手にエロい事 (主にジョークのつもりです) を呟いたり、突っ込みを入れさせてもらい、楽しく過ごしています。(中には不快な方もいらっしゃるだろうと思いつつ、すみません…)
 
若い頃、性教育に関心があった時期があり、勉強もしました。
今も、性に関する話題には興味がありますが、勉強はしてません。
それでも、ただふざけているだけじゃなくて、どこかで語れる場所があるといいなと思っていました。
娘の不登校に絡んで、自分が、カウンセリングを受ける機会を持つ事ができました。
その途中でふと、自分の体験や性に対する考え方などを、ブログで書いてみようかと思い浮かびました。
しかし、あまりストレートなのもなあ…と躊躇しているなか、ストーリーなら有りかな?と思いつき、書き始めてみる事にしました。
全てが自分の体験ではもちろんありません。
しかし、何かしらのエッセンスは振りかけてあると思います。
自分的には、たった一言が言いたくて、ひとつのテーマを伝えたくて、膨らまし、ペタペタとコーティングして創り上げた感じです。
難しいですが、それなりに楽しい作業でした。
 
セックス、オナニー、フェラチオ、クンニリングス…わりとストレートな単語を敢えて使うようにしていましたね…。
私が10代の頃は、周りで「セックス」と口にする大人は殆どいなく「アレ」だの「ハメる」など、濁したり俗語を使っていました。
若者には「エッチする」という言い方が流行っていました。
それはセックスという単語だけでなく、男性器や女性器、性行為についても同様です。
そんな言い方が、かえって卑猥に聞こえるのが嫌で、あえて正式名称を明記するようにしました。(場合により表現を比喩してはいますが、できるだけストレートな言葉を使って)
 
そうは言いながら、私自身、普段の生活の中で、性的な言葉を口にする機会なんて殆どありません。
極たまに、リアル世界で、ママさん同士のエロトーク (めっ…たにありませんよ) で口にすると苦笑されますね…。
皆さんそういう話題は好きではないようです。
冗談めいて話すならまだ聞いてくれますが、マジな話題は苦手ぽい。
その分野の言葉はやはりその分野でしか堂々と羽根を伸ばせないものなのかなあ…。
まだまだタブー感の強い世界なのかもしれませんね。(田舎だから?)
 
それらの言葉を口にするのが、自分自身も含めて恥ずかしい、いやらしいと思わなくてもすむように。
もちろん言葉を使う時は、TPOを配慮すべきですが…。(ツイッターでは、時々不快にさせているかもしれず申し訳ないです)
「ご飯がおいしいね」「今日はぐっすり眠れたね」くらいの感覚で、「セックスが気持ちいい」と言えたら、語り合えたらいいなと思っています。
「セックスは気持ちがいいもの」という発想や、そもそも「セックスありき」が当たり前という考え方でさえ、多数派意見に過ぎないのだと、ネットで知りました。
性に関しては、一人ひとりの、全くの私的な世界であるので、「こうあるもの」「こうすべき」はなく、自分がどう考えどう捉えるか、そして犯罪でなければ、どんな方法や手段を取ったとしても、構わないわけで。
だから押しつけにならない事を、意識したいのですが。
 
「そうとは思えない」「自分はそうじゃない」方達が、例え1人でも存在する…という事実を受け止めつつも、やはり「ご飯はおいしく食べられるといいな」と願うのです。
ひどい偏食でもいい、水しか飲めないかもしれない。
たった一口がやっとかもしれないけれど。
そして、おいしく食べられない原因を取り除けたら、もしかしたら食べられるようになるのかな? なんて考えたりします。
余計なお世話なんでしょうね。
 
自分の中では、いかに性を肯定的に受け入れられるかの闘いではあったのかもしれません。
受け入れていたつもりではあるのですが、自分にも知らされていない無意識の自分が、まだまだ潜んでいるのかもしれないなあと、奥が深い世界です。
どう表現しようが、行動しようが、とりあえず犯罪でなければ自由であってほしい。
 
思春期真っ盛りの頃、同級生に放送禁止用語をバリバリ発言する男子がいました。
クラスメイトが集まる教室の中で堂々と「セックス」「オマンコ」と言い放つ。
ツッパリ君の彼は正しかったのかもしれません。(それでも聞いてる側は不快でしたが)
本来なら口にするのを憚られる単語を、わざと話題にして大声で喋る。
今思うと、彼なりの大人への反抗だったのではないでしょうか。
彼はもうこの世にはいない人なのだけど。
 
もし、自分の子どもにブログを見せる機会があったら、それはそれで楽しみかもしれません。
いつか我が子と、1人の大人対大人として性を語り合える事…それはある意味私の理想であり、夢であります。
まあ、強制するものではないので、向こうから話しかけてくれたら、いくらでも相手になりたい位の感じですね。
まあとりあえず、18歳になったら考えよう。
 
「これ、ネットで見かけたんだけどさ、よかったら読んでみない? youtumugiさんて人が書いたらしいよ」
「知ってる。お母さんでしょ、それ」
…一瞬で石になりそうだな…。