スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

2016年 宇宙の旅

新年が明けて、私のカウンセリングは終了しました。
昨年の秋から、数回を1クールとして2クール行った事になります。
1クール目は、自分の想定内の過去を振り返る作業でした。
2クール目は、自分でも思いもよらなかった過去との再会でした。(まあ、大雑把にですが… )
今のところ、その再会が、自分の掘り起こした記憶の根底になっています。
 
記憶というものは、掘り始めればいくらでも掘り進んで行けるらしいのですが、とりあえず今回はここで終了。キレの良い終わり方ができたと思います。
カウンセリングを受ける前と受けた後の自分。
確かに変化できたと思います。
いえ、自分自身は同じなのだけれど、多分、私の掌に乗せているものが違っているのでしょう。
探しに行ったはずのものは見つからず、思いがけない拾い物をする。
大切だと信じて手にしていたものが、いつの間にか零れ落ちている。
もちろん、探したかったものの殆どは、見つけて拾い集められたと思っています。
 
記憶を辿る道のり。
決して灯りの照らされた道とは言えず、真っ直ぐでも平坦でもない。
歯をくいしばるような苦痛を感じる事もありました。
…何が苦しかったんだろう。
やはり現在まで歩いてきたこの道を、元へ引き返すという作業が…、
遠い昔に、何度も繰り返し行き来していたはずの道を、今になって正面を向いてもう1度、元へ戻らなければならないのかと。
あらためて目を見開いて歩かなければならないのか、という苦痛なのでしょう。
しかし、不思議とそこに本当の探し物はなかったのです。道から遠く外れた、暗い脇の方に転がり落ちていた感じ。それを拾うのは、拍子抜けするほど簡単で他愛のないことでした。それまで探し見つけた諸々が、影を潜めるほどに。
 
自分の記憶の旅をする。
幾重もの層になっている、1枚1枚をめくっては元に戻したり、剥ぎ取ってみたり。
天井も床もない、左右も前後も時系列も曖昧な空間…永遠に行き止まりのない宇宙のような概念。
その中を1人で探しに向かうのは、とてもとても困難に思えます。
だから、杖となる人、道を案内してくれる心理士さんが必要なのだと思います。
 
娘が不登校になってから、4人の心理士さんと出会いました。
私がカウンセリングを受けた心理士さんは、私にカウンセリングを受けようと決意させるに相応しい方だと思います。そして感謝しています。
 
最後に心理士さんに聞きたかったことがあります。
「もしも、カウンセリングを終えた今の私が元々の私であったなら、娘は不登校にならずに済みましたか?」
以前、心理士さんは、何れにせよ娘は不登校になっていたとおっしゃいました。
それは私が変わらない限り、不登校になるという可能性は消えないという事だったのかもしれません。
娘が不登校になった頃の私は、仮に不登校の原因が、家庭と学校で五分五分だったとしても、学校に対してのやり切れなさを抱えていました。支援学級から普通学級に移るための計画や、取り組み方の危うさ。結果、娘を追い詰めたのではないかと。
しかし、やはりそればかりではないのです。どんな関わり方をされようと、家庭で娘をしっかり支えていれば、娘もどこかで安心していられたのかもしれません。
例え不登校は免れないとしても、もう少し前向きに気持ちを維持して、毎日を過ごせたのではないか。
不登校になった前半の半年間は重苦しくはなかったろうか?
…はい、重苦しかったです。
 
8年前、娘の発達障害を知り、私はそれを理解して受け入れて…いました。それには間違いはないと思うのです。
しかし、その障害を適切に扱っていたかとなるとそうではないと思ってしまいます。
親が子の障害を受容できるかどうかは、その子の生活そのものには重要ではないのかもしれない。
障害の受容よりも、その子とどう生活していくのか、家族としてどう向き合い、関わり生きるか…のほうが、とても大事なことなのではないか。
それはつまり、家族の在り方であり、母親個人として、自分自身を大切にしているかということ?
 今までの私は、娘の障害をたった一人で抱え込んで生きてきたように思います。
 

カウンセリングで、私は本当の、本来の自分を取り戻せただろうか? 取り戻すことができたのだろうか?

きっと取り戻す事はできないのです。
しかし瓦礫の山をよけて、そこに新しい何かを積み始める事は出来ると思う。
自分の底辺などきりがなく、どこが底辺なのかもわからず、掘り起こせず、削り取れないけれど。
むしろそんな必要もないのだろうし、新しい自分を積み上げる作業なら、それほど難しくないのかもしれない。
 
自分の時間を大切にすること
自分の意思を大切にすること
自分の自我を大切にすること
 
今の自分を大切にすることは、過去の自分…子どもの頃の、幼い頃の、報われなかった自分の、弔いになるだろうから。
 
娘が不登校になった時、カウンセリングが必要だったのは、本人よりもむしろ母親である私自身だったのだと、つくづく実感しています。
 
さあ無駄遣いをしよう、
大人買いをしよう、
子どものために、家族のために我慢していた旅に行こう、
もっと我儘に生きよう、
 
もっと自分らしく生きたい。
もっと自分らしく生きてほしい。
 

 

心・色・水・雲・綾

こころに形があるとしたら、どんな形だろう。

色で例えるなら、どんな色でも存在できて、どんな風にも混じり合う…
例えば透明な水の中に、色水を1滴ずつ落とす。
幾つもの色を落とすごとに、水の中で色が拡散し、色と色とが混じり合う。
しかし等質となることはなく、混じる部分と交じる部分と。
だから、色が重なるほど濁るわけではなく、
より多く使われる色が全てを支配するわけでもない。
微かにほんの1滴分のスペースさえもそこに独立できる。

性質としては液体としか言いようがない。
静寂なこともあれば、ゆらゆら、ざばざばと波打ち荒ぶることもある。
たっぷり満たされているかと思えば、枯渇しそうにも。
濃度はその時々の状態で微妙に変化し、場所によっても差ができるので、澱みができたりさらさら流れたり。

それとももう少し違うものに例えるなら、雲のように、空に現れては浮かんで消えて流れていくもの。同じ風景には2度と出会えない。

かといって、成分は何でできているのかと言えば、そこはなぜか糸のイメージが浮かんでしまう。

糸を紡いで織る。
真っ直ぐな細い糸、弾力のある太い糸。
絡まったり解れたり。
切れた糸は結び、穴が空いたら繕う。

そんなイメージを自分の中に育ててみるといい。

その色の移り変わりを眺めていたい。

その液体の波の畝りを感じていたい。

その糸の織りなす綾を確かめていたい。

すばらしい選択 〜 これでいいのだ

娘は4年生になってから、少しずつ悩みが増えてきて。
それは周りの友だちとのぎこちなさだったり、支援学級の中にいる自分への違和感だったり。
それはつまり、自分の周りにも少しずつ目を向けられるようになったという事。
そして彼女なりに出した結論が普通学級へ移ることだった。
娘がもう少し勉強が好きだったら、
もう少し友だちとの雰囲気を楽しめたら、
もしかしたら乗り切れたかもしれない。
でもそれほどの力はなかった。クタクタになって疲れきってしまった。同じく私も。
周りが思うほど彼女は、勉強が好きでもなかったし友だちとも関われなかった。
自分の大好きな独特の世界を持っていた。
娘が普通学級に移りたいと言った時、支援学級に残るべきか、普通学級へ移籍するべきか…。
本来、支援学級で過ごしてほしい私はしばらく悩んだ。決断してからは迷いはなかったが、気持ちを維持するのは努力が要った。
そして不登校になってから今まで、色々な反省と自問が何度も繰り返される。
どちらにしてもうまくいかないのなら、後のフォローを考えるなら、支援学級に残すべきだったのかな…。
何度もそれを思い悔やみそうになるのだが、やはりこれで良かったんだの結論にはなる。
なぜなら、娘が自分で一生懸命考えて出した答えだから。
そして不登校という答えも自ずから出したのである。
選択をするというエネルギー。
例えそれがマイナスに思える選択だったとしても、
すばらしい彼女の選択であったのだ。

心理士さんはいずれにしても、娘はいつか不登校になってしまっただろうと言ってくれた。
気休めだとしても、私には幾分救われる言葉であった。
またそれ程に娘の特性が簡単なものではなく、躓いてしまったこの状態を、長い時間をかけて支えていく覚悟がいるのだな、と感じた。

また心理士さんは、娘が今、幼少期に取りこぼした物を拾っている、
幼い頃のやり直しをしているのだと言った。
だから母が寄り添って、同じ目線で見たり聞いたり、顔を見合わせておしゃべりをし、たわいない事で笑い合うのが大切なのだと。
それをちょっとずつ、積み重ねていけば何かが見えてくるような気がする。

娘が今、少しずつ回復しようとしている。毎日の中では目に見えないけれども、長い期間で見れば形となって現れるのであろう。
その形が、それなりの意味を持つモノとなった時に娘は、
今度はどんな選択をしてくれるのだろう。
それを楽しみに今は日々を過ごそう。
あなたの成長を信じて、夢見て。

みかんの籠が置いてあるコタツに入って、温かいほうじ茶を飲みたい。

金糸銀糸でタペストリーを織ろう

心理士さんは水先案内人である。
能動的に話をしているように見える私に、気づかれないように舵を取っている。
深層心理の海の波を凌ぎながら、櫂を使って舟を進ませる船頭なのだ。
こっち、こっちだよ...
そうして灯台の仄かな灯りをめざす。

延々とタペストリーを織り続けている。
細くたおやかな絹糸で、金糸銀糸で美しく装飾をして。
そこに織り込んでいこう、心のかけらを。
誰かこの手作業を補佐してくれる人がいるといい。
例えばその織り目にできた歪みを、うまく修繕してくれるような。
糸が足りなくなったら、買いに走ってくれるような。
ひとかけらでもいいのだ。
思い出すたびに糸と紡ぎ、タペストリーに織り維げよう。



世界の中心でエロと叫べばいい

何かを確かめたかった
何かを探していた
それは自分探しと言われたりもする

命とは何か、を確かめたかったのだろうか
命はどこにあるのか、を探していたのだろうか
自分の命やら他人の命やら特別な誰かの命やら

命が位置としてではなく意味として、どこからやって来てどこに還ってゆくのか
つまり、なぜ何のために命を宿し、命が絶えるのか
そのうえで今生きているこの世界は、空間は何を意味するのか
その理由が知りたくて探し続けていたのだろうか

死のことを考えるのはもうウンザリだ
できるなら生きることを考えたい、目を向けたい

生も死も同等のものではあるけれど

生のエネルギーを体いっぱいに浴びて吸収したい
そしてエネルギー満タンにして、元気に、愛する人達を照らす存在でいたい
だからエロスに惹かれるのかなあ…
ほら、性は生そのものだから
 
性は命の源である
だから世界の中心でエロと叫べばいいんだ

ほらね

巡って、環って、世界はうまくおさまっている

生の扉を開ける呪文を唱える

呪文を唱えたら、目の前にあった大きな岩がゴゴゴゴゴゴ……という地響きと共に動き始めた。
岩の向こうに隠れていたものが姿を見せる。

それは私が生きるための源としているもの。

呪文は何と唱えたのだろうか?




自死についての考え方。

同情もせず無情でいたいとも思わない。
許したいわけではないし許さないわけでもない。

ただ認めない。

絶対、ではない。それほど強い意志ではないと思う。
ただほかの誰かが、
「かわいそうに」「気持ちがわかる」「仕方のないこと」と受け入れる姿勢を示したとしても、
私は認めない、まる、なのだ。

確かにやむを得ない事もあるだろう。
自分の意志と言いながらも、突発的に衝動的に起きてしまう事もある。
誰かを苦しめたくてそうしたわけじゃなくても、
私は認めない立場でいたいのだ。

兄2には、私のその考えを伝えてみてはいる。

死んじゃだめだ、そう叫んでいてくれたのはポチだったのかな。
自分で死を選ぶことは、ポチへの裏切りになってしまうから。




ある時のカウンセリングで、私が生まれてからこれまでの出来事を話した時に、
心理士さんはこう言いました。

あなたが体を張って、悪い流れを塞き止めているのだと。

代々から引き継がれてきた忌まわしい慣習に、あなたは堰となって断ち切ろうとした。その慣習から娘の身を全力で守った。

だとしたら自分のこれまでしてきた事は、自分を傷つけはしたかもしれないが、意味あるものだったのかもしれないと思う。




その当時は、何のために自分がそうしているのかもわからないまま、何かに突き動かされるように、水の流れに逆らいながら泳いでいたと思う。
どこかの岸辺に辿り着きたくて。

今思うとその頃の私は、自分が価値のないもののように思えて、それを証明していたようにも取れる。
( ほらね、ほらね、)  と。

もしくは確認するためだったのか?
( 本当にそうなの? 本当に私は価値のない人間なの? )  と。

そしてその答えを探し始める。
( その答えはどこにあるの?  どうすれば見つかるの?
どれくらいの事をすれば、目に見えるようになるの? )

確かに自分に傷をつけながらも、何かを確認する事ができたのではないか。

探し物が見つかったのではないか。

辿り着くべき岸辺に、川の流れから這い上がることができたのではないか。

それは糸口の見つからない未来の話で、結果的には、娘や兄達を守ろうとする姿勢にはなり得たのかもしれないが、それを知る由もなくそうしてきたのだろう。

しかしポチの事を思い出した途端、それまで私の中で鬱々とさせていた自分の人生の出来事が、霞が晴れるようにすうっと軽くなり、大小様々の黒い闇が一瞬で消し去られた感覚があった。


あれらの出来事は、私には取るに足らない事だったよね?  ポチの命に比べたら。


確かに、後にも先にもあれほど強く誰かの命を切望した事はなかった。

ポチの命と同時にたくさんの何かが喪失したんだと思う。私の内側で。

その命を失った時、後にも先にもそれ以上の喪失感は味わえなかったし、その時すでに感じないように封印していたのかもしれない。

そして何事もなかったように生きていたつもりだった。

それが娘の障がいや不登校に、だんだんと追い込まれていき、あの時の空間に閉じ込められてしまったのか。


呪文の言葉は[生きろ ] だったかもしれない。

格納庫に終いに行こうか

その記憶は長い間忘れ去られていて。

また、思い出したとしてもこんなに感情が溢れはしなかった。

 

私にとってポチの死は、ただの死でしかない。
死というものの、それ以上も以下でもない。
何を思おうと死は訪れる。
何を願おうと死は通り過ぎる。
何事もなかったように。
そして何事もないのだ、そのイノチがここに無いという事以外は。
 
 
 
 
昔、自分でも覚えていないくらい幼い頃、父親が畑に穴を掘っていたそうだ。
父は傍にいた猫を指差して、私に「その猫を埋めるからこの穴に入れなさい」とからかったそうだ。
 
何故その通りにしようとして、猫を抱きかかえたのかわからない。
父の言う通りにしたまでかもしれないし、その行為が何を意味するのかがピンとこなかったのかもしれない。
 
その時、兄が必死に私を呼ぶ。
 
私の名前を何度も呼び、
(やめろ、よせ)
と目で合図を送っていたかもしれない。
 
とにかく覚えていないのだ。
 
結局、その事は父が子ども達に悪ふざけをした、という笑い話となるのだが。
 
父は私の躊躇ない行動や、対して兄が慌てふためく様子を交互に説明し、楽しげであった。
兄は兄で、自分が父の思惑に引っかかった事への照れ隠しなのか、私に冷たい奴だと言い張る。
 
私はそのように子どもの心を試したり、からかう大人に嫌悪感を抱く。
また、自分には非がないと弁解しているようにしか見えない兄が疎ましい。
 
もちろん兄に非はないのだ。
 
しかし私にだって非はないはず。
 
それが何故、幼い頃の思い出話で食卓を彩るのか。
 
 
 
 
大人になって車を運転したばかりの頃、冬道のカーブで突然何かにぶつかった。
ガツン! と聞こえた。硬い雪氷の塊にでもぶつかったようだった。
そのまま無意識に車を走らせていたのだが、ふと脳裏に、ぶつかる直前に黒い影が動いてくる映像がよぎる。
 
雪氷は動いてはやって来ない。
 
もしかして…違うよね…
 
とても嫌な予感が充満して、車をUターンさせた。
 
確かこの辺り…車を停めて、暗闇のなか車道に目を凝らした。
塊を見つけた。小型犬だった。
いや、もうすでに気づいていた。あのガツンという音は、生き物がぶつかってきた音だと。
 
 
認めたくなかったのだ。
 
 
何も考えなかった。まず最初にしようと思った事は、その犬を抱えて歩道の上に寝かせる事だった。
 
犬は温かかった。暗闇で見えないが液体の感触はない。
 
ただ、全く動かなかった。
 
もしかしたら脳震盪を起こしているだけかもしれない。それでもあのまま車道に倒れていたら次の車に轢かれてしまうかもしれない。
 
嫌というほど見てきた光景をせめて避けたくて、歩道にそっと寝かせた。
 
お願い、明日の朝ここを通る時には動けるようになって、いなくなっていて…。
 
翌朝、その犬は同じ場所に寝ていた。
 
死んでしまったのかわからない。
もしかしたらまだ意識のないまま眠っているかもしれない。
目覚めて自分の家に帰ってくれたらいいのに。
 
翌々日、そこにはもう犬の姿はなかった。
 
 
ごめんなさい。
 
 
あんなに死なせたくないと願っていたイノチを、自分がいとも簡単に奪ってしまえるのだから。
 
 
 
 
それから車に乗るたびに、しばらく動物には怯えたし、自分の命も事故を起こせば、呆気ないものなんだろうな…と思うようになった。
 
長旅の前には自室の整理整頓を行う。
 
もしかしたら、2度とこの部屋には戻れないかもしれない覚悟をして、ドアを閉める。
 
 
そんな日々が、死を敏感に感じ取り収集していたのだろうか。
 
それを子ども達に引き継がせるわけにはいかないよなあ…。