子どもの頃、「人は死んだらどこへ行くのか?」という疑問を、多くの人は持つのではないだろうか。
「死んでしまいたい」と思うこともまた、多くの人が経験してるように思う。
当たり前なのだけど、わたしは死んだ経験がない。
でも死んでしまいたいと思うことは何度かあった。
死が向こうから近づいてくるのか、自分が死に向かっていくのかで死の捉え方もかなり違うように思う。
わたしの場合は自分から死に向かう気にはなれなかった。
行動に移すエネルギーがなかったのか、それほど願いが強くはなかったのか。
ただ、「うまいこと、わたしの歩いてるところに車が突っ込んできてくれないかな…」
くらいのことは願っていた。
結局突っ込んではこなかったし、死に直面するような病気やけがや事件にも遭わずにすんだ。
だから今生きている。
だけどもし、死に向かっていけば、成功する確率が高ければ…。
「死にたい」(願望)と「死のう」(意志)
そのあたりが自ら死を選ぶかどうかの境い目なのだろうか。
そして本意か不本意か、もうこの世にはいない人たちに
「死んでどうだった?」と聞くことは永遠に無理なのだ。
命を取り返しに行くことも…。
ただ、わたしが死んで、もしあちらの世界というものがあるのなら、
逢いに行きたい人は何人かいて、
もし探し出せるなら見つけ出して、
お礼を言ったり謝ったり、あんな時やこんな時の気持ちを聞いてみたいと思うのだ。
その時には「死んでどうだった?」なんて野暮なことは聞かない。
何となく、一緒にお酒を注ぎあって「お疲れさまでした」と微笑みあいたいのだ。
そんなことを想像すると、死ぬこともあながち悲しくないかな…なんてぼんやり考える。