扉の向こうに佇んでいたイノチ
生家には番犬が絶えることなく飼われていた。
高校の頃、知人から犬を貰った。その犬は元気が良く、落ち着きのないやんちゃ犬であった。
ポチと名付けた。
ポチを飼い始めてから数ヶ月したある日、誰かが散歩に連れて行こうとしたのだろうか。
多分、綱は付けていたはずなのだが、向こうから走って来る車に反応して道路に飛び出してしまった。
衝突音。
犬の小さな叫び声。
家族は急いでポチに駆け寄った。
安全な場所に移し、敷物を敷いて様子を見る。
確か血は流れていなかった。
しかしポチは低い唸り声を上げ苦しそうであった。
意識が混濁しているようで、もうろうと横たわっているかと思えば、急に立ち上がろうとした。
身の置き所のないような苦しさの中、何時間かが過ぎた…ように感じた。
「お願い、獣医さんを呼んで!」
ずっと泣きっぱなしだった私はどうしていいのかわからず、さすったり声をかけていたが、やっとその答えに辿り着いた。
獣医さんなら助けてくれるかもしれない。
母はもう助からないと言った。時間の問題だと言った。
私にとってそんな事は頭に入らなかった。ただ今の苦しさを少しでも和らげてあげたかった。
「お願い、呼んで!」
そうしてやっと、ペットの獣医さんというよりは家畜向きの獣医さんがやって来た。
注射を1本打った。明日まで様子を見るように言われた。
その後ポチの動きは少し穏やかになり、玄関までそっと運んだ。
その後のことは思い出せない。
ただ、夜ずっと玄関で犬を見守っていたら、母に「もう遅いから寝なさい」と声をかけられた。
どんな気持ちで布団に入ったんだろう。
明日の朝、元気になってくれるかな、苦しくないかな…。
翌朝、ポチは静かに息を引き取っていた。
私はその姿を見て何も感じなかった。
涙はもうすでに前日に流しきってしまった。
叫び声も使い果たしていた。
ただ静かに、静かな気持ちで、2度と動かないその屍を微動だにせず見つめていた。
ああ、やっと楽になれたんだね、もう苦しくないね。
だけど、こんな姿を見る事になるとは考えてなかったよ。
少し苦しげでも、まだ目を開けてこっちを見て、ハアハア舌を出しながら息をしてくれていると思っていたのに。
うん、あたしは何もしてやれなかったんだ。
あなたを救ってやれなかったんだね。
それなのにあなたはやっと楽になってそこに横たわっているんだね…
そんな事を思ったような気がする。
「もしかしたら、苦しまないように安楽死の注射をしたのかもしれないね」
と母は言った。
なんだって…?
あたしが願ったのは、懇願したのはそんな事じゃない。
あたしが切望したのは、この犬のイノチなんだよ。
先の事なんて想像できないけど、とにかく今はイノチを残してほしかった。
例えどんな形であっても。