聞いてくれてありがとう
前回のブログでは、結果的に身も蓋もない話になってしまった気がして…
なーんて思っていたら、にののさんのブログを読んで思い出したことがあるので、ちょっと書いてみます。
娘は12歳、高機能自閉症と呼ばれるものに位置していると思われます。
(医師からは広汎性発達障害と診断名がついています)
一見障害があるようには見えにくく、幼稚園時代は周囲にその事を伝えませんでした。
私個人としては正直なところ、娘の障害について大まかでもいいから話をして、娘のことを理解してもらいたい気持ちがありました。
しかし、療育センターの先生も幼稚園の先生も、あっさりでいいのではないか…という事でしたので、入園後の保護者会の時に、
「気持ちを伝えるのが苦手で」
「友達とうまく関われなくて」
…みたいな挨拶を、した記憶があります。
自分のお子さんについて、同じような事をおっしゃるお母さんもいましたが、
「いや、そんな軽いもんじゃなくて…」
と、少し歯がゆかった気がします。
幼稚園では娘に加配の先生をつけてもらっていましたが、周りの保護者には
「園全体のお手伝いをする先生」にしか写っていないようでした。
そして小学校入学。
娘が支援学級に在籍した事でやっと(?)、少なくとも同学年の保護者にはオープンと言いますか…
「あの子には、何かあるらしいぞ?」
というきっかけができたわけです。
幼稚園から母子共に仲良くさせてもらっていた子供たちが、協力学級に数名一緒だったので、
その子のお母さんたちに一人ずつ、
「うちの子、○○学級なの。よろしくね」
入学式にそう耳打ちしました。
(娘を理解してほしい気持ちはあっても、小学校入学を控えたデリケートな時期にお母さんたちに打ち明けるのは、精神的に余裕がなく、結局入学式当日になってしまいました)
支援学級に在籍した事、親しい間柄のお母さんたちに一言伝えられた事は、私の中ではとりあえず肩の荷が下りたような気がしました。
あえて私からあれこれ話すつもりはなかったのですが、もし娘のことを聞かれたら、できるだけ理解してもらえるように話したい。
その上で、できれば今まで通り子供たちが遊んでほしかったし、自然と離れるならそれはそれで仕方のない事だと考えていました。
私にとって一番懸念した事は、障害というものに対して遠慮したり、気を遣われる事でした。
娘の友だちが望まないのに、その子の親から、娘と一緒に遊ぶように仕向けられるのは避けたい事でした。
それならいっそ、離れてくれてよかったのです。
そのほうが、娘との関係をこじらせずに済むように思いました。
しかし、幸い(?)娘の友だちもお母さんたちも、今までと同じように接してくれました。
それは大変ありがたい事でした。
ただ…聞かれないのです、何も。
「どうして○○学級に行くことになったのか?」とか、
「どこか気になる事があったのか?」とか。
表向きの態度としては今まで通り。
でも何も聞いてはこない。
それは優しさからくるものだろうか?
それはもちろんあるのは感じています。
でも、それと同時に、「何かあるらしい」ものに対しての遠慮や気遣いが、間違いなくあったと思います。
それは当然なことかもしれません。
こちらからあれこれ話せもしないくせに、
「気にしないで聞いてほしい」なんて思うのは、
こちら側の甘えなのかもしれません。
でも一人だけ、ストレートに聞いてくれたお母さんがいます。
「どうして○○学級に行ったの?」と。
そのお母さんとは今でも時々会って、お互いの子供のことをあれこれと話し合っています。
昨年、娘は不登校になりました。
その時の私は、誰にも近づきたくなかったし、近づいてきてほしくありませんでした。
そしてさすがに誰も近づいてきませんでした。
それでも数か月して、少しずつ、娘が学校に足を運びつつある頃、
声をかけてきてくれ、話ができたのはやはり、そのお母さんでした。
聞く、というのは勇気がいることです。
その人を傷つけやしないか、悪い印象を持たれないかと、リスクを考えてしまいがちです。
それでもそうやって、私に声をかけてくれたそのお母さんの勇気に、感謝しています。