スペクトラムしい日々

自閉症スペクトラムの娘と家族、母の日常をゆらゆらと書き綴ろうと思います

思えば遠くへ来たもんだ

「診断名を伝えましょう」

心理士さんにそう言われてさすがに「え……え??」って一瞬なりました。
 
それは、それこそは娘が診断を受けてからずーーーーーっと私の頭の中にあって、意識してきたことなのです。
 
今現在、娘にはまだ診断名を伝えてはいないし、それについての詳しい説明もしていません。
 
特性についてはその都度、娘が理解しやすいようにシンプルにわかりやすく伝えるようにしてきました。
しかし、それは娘にとっては性格の延長であったり、努力すればできるようになることと受け取っているかもしれない。
 
いつか話す時がくる。
それがいつなのか… 小学校の高学年あたりだろうか…と、本やまわりのお母さん達から情報を取り、以前から漠然と考えていました。
 
しかしなかなかそれはやってこなかった。
 
就学前の娘には、そんな話が成り立つような理解力や会話力はありませんでした。
小学校に入学してからも、私には娘にどれだけの理解力があるのかよくわからなかったし、
関係機関のどなたも「告知」というワードを口にはしませんでしたし、
そもそもオットの理解が得られていなかったのです。
告知どころか、障害についての理解が。
 

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1番はじめに「これは…そろそろ伝えるべきなのでは?」と感じたのは娘が小4の時でした。

少しずつ、友達とうまくいかない自分に悩むようになっていたのです。
 
娘はそうは言いません。
 
「友達と遊びたいのに遊ぶ友達がいない」
「友達が私に話しかけてくれない」
「でも自分から(遊ぼうと誘ったり話しかけること) はしない」
 
できないのではなく、しないそうです。
「そういうタイプだから」と。
 
そのうちに、
「まわりから変な目で見られてる、私のことをバカにしている」
…などと気にするようになり、
それが支援学級にいるせいなのではないか、
どうして支援学級にいるのか、
病院に、検査に行かなければならないのか…
 
娘のなかでクエスチョンマークが増えていったようです。
 
その度に話を聞いて、ああかもね、こうかもね、それはこうだと思うよ、
あなたはこういうところがあって支援学級に病院に検査に行っているんだよ・・・
そう説明してきたつもりですが、どうしても言葉足らずになってしまうのです。
 
「診断名」や「障害」という言葉を避けて話そうとするからです。
 
「娘にきちんと話したほうがいいのではないか」
主治医や支援者にも相談してみたのですが、
「まだ必要ないのではないか」
「診断名をはっきり言わなくてもいいのではないか」
…という返事なのです。
 
多少モヤモヤしながらも、そんなものなのかなと様子を見てしまう。
その時の私には、自分が直接、娘に話すことなど自信がありませんでした。
本当は、できれば主治医から説明してもらいたかったのです。
 
あれこれ習い事をしてみたり、今とは違うタイプの放課後等デイサービスを利用してみたり、普通学級に行くための練習をしてみたりするうち、
普通学級の友達にも、支援学級やデイの友達にも違和感を感じてしまう。
友達にも勉強にも、ついていけなくなってしまう。
 
少しずつ自分に自信が持てなくなっていったのだと思います。
そして不登校
 
色々な支援機関に相談をし、思いきって病院も変えました。
そして新しい主治医に、いずれ診断説明をしてほしいとお願いしました。
 
その頃はまだ登校できず娘の気持ちも沈んでいて、すぐには動けないと思いましたが、
半年ほど経過し、少しだけ学校に足が向くようになった頃、
再度娘への診断説明が話題になった時に主治医から、
 
「まだ必要ない。説明したとして、言葉では理解しても本当の意味で理解するのはずっと先になるだろう。急ぐ必要はない」と言われました。
 確かにまだ登校も軌道に乗れてない状態だったので、そう言われるのも仕方ないのかなと思いました。
 
そのままその話題はいったん胸にしまい込み、また頃合いをみて話すことになるのかなと。
 
しかしデイの心理士さんは「もう病院はほっといてこちらでやりましょう」と。
 
実は娘の勉強方法に、私も担任の先生も悩んでいて、心理士さんに相談したのです。
 
小学校の後半から、宿題は悩みの種ではあったのですが、それを誰にどう話せばよいか考えもしなかったし、みんなと同じ宿題をすることに疑問を感じませんでした。
ましてや普通学級に移る練習をしている期間は、みんなと同じことを支援なく行うことが前提でしたから。
(今にして思えば無茶ぶりが・・・)
 
娘がどんな方法で勉強すればやりやすいのか、身につけやすいのか。
小学校ではそこそこついては行けたかもしれませんが、中学になればそうも言ってられません。
教育相談も申し込み中です。
 
心理士さんはどのような方法で勉強すればいいのか、検査してみないかと。
WISCだけでなく、もっとくわしい検査をして娘の特性をくわしく調べようと。
そして娘に合った勉強方法を考えようと。
 
ウルトラマーーーン!!!!!!!!
(わかる人にはわかる雄叫び)
 
それも含めて、やはり診断の説明は必要不可欠なのだと。
 
私も、これまでの告知に対する自分の考え方や思いを心理士さんに伝えました。
そして中学のこの3年間が、娘にとってとても重要な期間であり、
この3年間のどこかで告知をすることになるだろうと。
むしろそれは今でもいいんだと、話をしながら確信していきました。
 

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心理士さんとデイの活動について話し合ったことを、その日の夜にパソコンでまとめました。

そして3枚コピーしました。

1枚は担任の先生に、1枚はオットに、1枚は心理士さんに。

(情報の共有ってやつ・・・)

オットはまだ心配な様子でしたが、反対はしませんでした。

 
その一部を抜粋。

『これから、本人に診断名の説明をする方向で考えていきます。

  ①検査をすることや、支援学級での勉強をしていく理由を伝える必要がある。

  ②本人が診断名を知ることで、これからの進路や就労について一緒に考えていける。

  ③「自分は何者か」を知る権利があり、理解する力がある。』

 

 

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「自分は何者なのか」
まさにその一言が、娘に伝えたい全てなのです。
その問いを心に抱えたまま、背負い込んだまま、暗い深い森の中で、娘を迷わせるわけにはいかないのです。